恋のような何かの話
初めて会った時に、"この人と結婚するんだと思った"なんてビビッと来たりはしてない。
ただ、ずっとこの人の隣を歩いて尽きるまで話をするのは私でありたいと思った。
これを恋と言うのだろうか
元彼と別れてから好きな人と出会ったのは割とすぐだった。
最初の印象は変わった人。まあ、今も私と趣味が近しい=変だと思ってるけど(笑)
だけど誰より素敵で優しい言葉を遣う。気配りもし過ぎるくらいしてくれる。
そもそも出会ってすぐならまだしも、出会って数ヶ月経った今でも年下の私に敬語を使い続けている(距離を取るためわざととかだったら泣くけど)。
何回か会って、突然、嫌われること言ってもいいですか?と尋ねてきた。
私は流石にそろそろ自分の嫌な部分見えてきて許せなかったのかなって心臓バクバクさせながら聞き返したら、煙草吸ってもいいですか?だった。本当に心臓に悪過ぎる。
どうぞと言うとばかばか煙草を吸いだした。相当我慢してたらしい。
本人にはもちろん言えないけど実は喫煙男性が3割り増しで格好良く見えるくらいには好きだから、むしろ早く言ってよ〜って気分だった。
本人も早く言えば良かったなんて言ってたけど、ずっと私に気を遣って吸わないでいてくれた心遣いがますます好きだと思った。
好きって簡単に言うけど、この人に対しては単純に恋愛のそれだけではない。
人として尊敬できるの好きとか、今まで趣味が近い友達が1人しかいなかった私に同じくらい趣味が近い友達(ちゃんと好きな人が友達って言ってくれた)が出来て嬉しくて手放したくないとかも含まれている。
別に恋人という関係になりたいわけでもない。
抱き合いたいとかそんな事したいとは考えたこともないし。
今まで色んな人と色んな場所を手を繋いで歩いたけど、好きな人と手も繋がず友達の距離感で隣を歩いて話をするだけで、他の人たちと繋いだ手の温もりよりぽかぽかと心が暖かかった。
そりゃあ1回くらい手を繋いで隣を歩いてみたいけど。
それに、好きって最上級までいくとその人になりたいらしい。
峯田和伸とか山田テルコが言ってた。
私は好きな人のようにはなりたいと思うけど、別にまだ本人になりたいわけじゃないしなあとか。
いや、好きな人になりたい人の方が可笑しいのか…?
恋人になりたいわけじゃないとか言うくせに、連絡がなかなか返ってこないと無性に不安になってしまうから我儘だ。
自分だって連絡返すの遅いんだからとは思うけど、自分以上に遅いから本人に忙しいって聞いていても、もしかして他の女の子と…なんて考えて嫌だなんて思ってしまう。
心の底では他の女の子を選んでほしくない、私を選んでほしいと思ってしまってるんだ。
もちろんそんなことは好きな人は知る由も無いし、自分がされて嫌な事は絶対にしないと心に誓って追いラインすらしたこと無い。
逆にこの姿勢が相手をその気にさせ無さすぎているんじゃないだろうか?
そう思っても勇気がない。
話したいことは沢山あるはずなのに、いざ話そうとすると何をどう伝えればいいのか分からなくなってしまう。
意気地なし。
これはきっと私に向けられて作られた言葉だ。
ここまで考えて、ふと、これは執着なのかとも思う。
「流石にここまで悩むのも馬鹿馬鹿しい。狭い世界で生きてるからこの人しかいないって思ってしまうだけ。世界を広げればきっと良い人なんてごまんといる。」と、新しい出会いを探しても、結局どこかしらに難癖つけてこの人は違う、あの人も違うって逃げて「やっぱりこの人じゃないと駄目なんだ」と好きな人のところに帰ってきてしまうのだ。とてもいい迷惑だと思う。
恋、愛、友情、尊敬、執着
この中のどれか一つの言葉で気持ちを表すなんて到底出来ない。
全部正解で全部間違いだから。
だからやっぱり恋のような何かになってしまうのだ。
小話
"桐島、部活やめるってよ"の初版が出たのは私がまだ小学生の頃。その頃読んだ時は大好きなチャットモンチーの名前が載ってる!なんて一人できゃっきゃした。
高校生になって読み返して朝井リョウの女子高生に対する解像度の高さにひっくり返った。
だって、恋愛バイブルソングを聴く年頃の女の子が聴く曲で出てくる名前って大体がaiko、大塚愛、この頃だと西野カナとかもかな?
そんな中でこの人はチャットモンチーを聴かせているのだ(aikoもだけど)。
女の人が書いてもなかなか出てこない名前を男の人が出してるんだ。すごい。天才だ。
たったそれだけで朝井リョウがめちゃくちゃ好きになって色んな本を買ったのが懐かしい(もちろんどの作品も面白いし、やっぱり女子高生が出れば解像度高くて好きだ)。
そして私は大人になった今でもやっぱりチャットモンチーを手放せずに、救われながら生きている。
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