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ロッド・アレンという男

割引あり

1959年、カリフォルニア州ロサンゼルスに
生まれた本名ロデリック・ベルネット・アレンは
サンタモニカ高校を卒業した1977年、
MLBドラフト6巡目で
シカゴ・ホワイトソックスから指名を受けて
入団するもビッグリーグに昇格する事なく
1981年、シアトル・マリナーズに移籍します。

横浜や阪神でプレーしたジム・パチョレックの兄
トム・パチョレックとの交換トレードで
シアトルにやってきた1983年の4月7日、
ニューヨーク・ヤンキース戦に
代打で登場し、MLBデビューを果たすと
初打席初安打をマークしました。

しかしレギュラー定着とはいかずに
デトロイト・タイガースや
クリーブランド・インディアンスなど
マイナーリーグを転々としていた1988年、
3Aコロラドスプリングスで
三冠王に輝く活躍を見せたのです。

下半身を使わず、上半身の腕っぷしだけに
頼った打法ながら、ホームランを連発するなど
高い打撃力を有した外野手に
ミスター赤ヘルこと山本監督1年目の
広島カープは目をつけて交渉を開始すると
身長189センチ、体重92キロの助っ人は
海を渡ってきたのでした。

30歳と脂が乗っていた登録名
ロデリック・アレンは
同期入団したロードンと共にオープン戦から
結果を出した事から
5番を任されましたが
前半戦の故障が響いて1年目は平凡な成績に
終わります。

今年こそはと気合いを入れて迎えた
翌年はMLBドラフト1巡目指名に
メジャー通算72本塁打の実績を引っさげて
来日した新外国人、マイク・ヤングの控えに
甘んじていましたが、ポスト山本浩二と
期待されたヤングが不振に陥ると、
スタメンに返り咲き、史上14人目となる
4打席連続本塁打や1試合で代打満塁ホームランと
サヨナラ本塁打の合わせ技を見せるなど
勝負強い打撃でチームの中心となりました。

シーズンを通して打率3割1分3厘、25本塁打、
61打点の好成績をマークした助っ人はこの年、
野球ファンの脳裏に焼き付ける
壮絶な鬼ごっこを展開したのです。

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