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ウィリー・モー・ペーニャという男

割引あり

1982年、ドミニカ共和国に生まれたペーニャは
恵まれた体格と天賦の才で
ハシント・デラコンチャ高校時代に頭角を現し
「シーズン35本塁打は打てるぞ、
サミー・ソーサ二世ともいえるポテンシャルだ」と
母国の英雄になぞらえて将来を嘱望されました。

1998年、アマチュアFAでニューヨーク・ヤンキースから
指名を受けた際には、当時のドラフト外野手部門で
史上最高額となる4年370万ドルを提示されると
スカウトのゴードン氏は
「高校時代のケン・グリフィー・ジュニアに
アレックス・ロドリゲス、マニー・ラミレスも
見てきたけど、ウィリー・モーに匹敵する
パワーを持つものは誰もいなかったね」と
期待の大きさを口にしたのです。

しかし3打席に1回は三振という確実性のない打撃や
生まれ持った強肩を生かしきれない送球の荒さから
2001年、シンシナティ・レッズへトレードされると
翌年にメジャーデビューを飾ったほか、
2004年には故障したケン・グリフィー・ジュニアの
代役として110試合に出場し、26本塁打をマークしました。

日本人メジャーリーガー大家(おおか)や
石井一久(いしいかずひさ)からもホームランを放った
大砲でしたが
「桁違いのパワーは魅力的でも
外野の守備は悲惨なワンツールプレーヤー」と
見られていたペーニャがレギュラーに定着する事は無く、
毎年、所属先が代わる生活を送っていたのです。

常に全力プレーの大男は、守備の際に
フェンスに激突して故障する不運に
見舞われながらも決して野球を諦めていなかった2011年、
3Aリノ・エーシズで打率3割6分3厘、21本塁打の
成績を残すと、その年のシーズンオフ、
福岡ソフトバンクホークスから
年俸1億4000万円のオファーが届きました。

メジャー通算84発ながら4人目の外野手という
立場に行き詰まりを感じていた
身長190センチ、体重118キロの助っ人は
「全米で私の名前が知られたのは飛距離のおかげ。
150メートル以上は飛ばせるよ、日本でも
ホームランを打つたびに東日本大震災の復興に
2万5000円づつ寄付するつもりだから、
たくさん打たないとね」と海を渡って来たのです。

2012年1月29日、シカゴ発の飛行機が遅延した影響で
成田からの乗り継ぎに失敗すると
「生後4カ月のブリアナが泣いちゃって大変だったよ」
と、やや疲れた表情で2時間遅れの福岡入りに
なりましたが
キャンプ初日のフリー打撃では挨拶代わりに
150メートルの柵越え弾を放ちました。

キャンプ地に愛娘のおむつやミルクを持参していた助っ人は
いざ開幕すると、自慢の怪力をいかんなく発揮し
4番を任せられるようになります。

4月8日の西武ライオンズ戦で石井投手から
「久しぶり」とばかりに特大ホームランを放つと
5月には「気分によって色を変えるんだ」と
髪とあごひげを金色に染めるゴールドバージョンで
登場、指名打者部門で選出されたオールスターの
ホームラン競争では場外ホームランを連発して
優勝を飾りました。

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