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【サチェル・ペイジ】野球の歴史上最高の投手 179キロの速球は伝説 リーグ最大のカリスマ ノーランライアンも真っ青のスピードボールを投げ 誰よりも多く登板したモンスターピッチャー

おはようございます。今日、取り上げるのは、
野球の歴史上最高の投手のひとりとされる
サチェルペイジです

https://www.youtube.com/watch?v=yLA60o5phFE&t=9s

ニグロリーグにおけるカリスマ性は、ナンバーワン。

アラバマ州で庭師の父と母との間に生まれたサチェルペイジは
非常に貧しい家庭で育ちました。

両肩にたくさんの肩掛けバッグ(サッチェルバッグ)を
かけて荷物を運ぶ仕事を少年の頃からしていたため
友人から、「サチェル」と呼ばれて以来、この名前で通したといいます

そんな貧しい暮らしの中で、雑貨屋でオモチャの指輪を盗んだところを
見つかり、救護院に入所させられますが、
そこで野球というスポーツに出会います。

野球の神様に導かれるように野球を始めたサチェルペイジは
ニグロリーグ時代には2500試合に登板し、2000勝をあげ、
ノーヒットノーラン55試合という逸話も残っています。

投球フォームも独特で、
上手、横手、下手どこからでも投げ分けることが出来たり、
ホームベース上に置いた煙草の上をボールが通過するほど
コントロールに優れていたとか。

160kmを投げていた速球王ボブフェラーが
「サチェルの投げるボールがファストボールなら、
俺の投げるボールはチェンジアップだ」と発言したり、

ボブフェラーの速球を見た関係者が
サチェルは170kmを超えていたと証言したり、

サチェルペイジとノーランライアン両者の球を受けた
捕手が、サチェルペイジは179kmくらい出ていたと
コメントを残すなど、

にわかに信じがたい伝説が多く残っています。

本人のショーマンシップも優れていて、
「今から9人連続三振を取る」からと、野手全員を
マウンドの周りに座らせて投げるなど
その逸話には事欠きません。

ブルックリンドジャースがジャッキーロビンソンと契約して
ようやく、メジャーリーグにも人種の壁が撤廃されたとき、
ペイジはすでに、40歳に達していました。

それでもシーズン途中にインディアンスに入団し、
42歳の史上最高齢新人投手は、6勝をあげ、リーグ優勝に貢献したのでした。

46歳のときには12勝をあげ、2年連続でオールスターゲームにも
出場しましたが、所属チームが売却されるなどの不運も重なり、
引退となりましたが、

メジャー選手生活が短く、年金をもらうことができる
年数に足りなかったため
しだいに生活が困窮するようになりました。

その事情を知った野球関係者が、偉大な選手を助けようと、
年金需給資格を与えるために、もう一度メジャーに復帰させたのでした。

そのときサチェルペイジ59歳。
ボストン・レッドソックス戦のマウンドに立ち
現役バリバリの選手を相手に3イニングを無失点で投げ終えたのです。

1982年、75歳のとき、カンザスシティにあるサチェルペイジ球場の
始球式に登場し、観客を最後まで沸かせた3日後
その生涯を静かに終えました。

最後にサチェルペイジの言葉を紹介します。

「私は人種差別を受けているとは思わない。
私は今年が私にとって最良の年であるといつも言いきかせていた。
私が白人なら大リーグへすぐ行けたのにと、言う人もいたが、
私自身は、つらくも何ともなかった。
私は私の世界に満足していたからだ。」

唯一の心残りは、ベンチからペイジの投球を見て
顔が青ざめていったと言われるベーブルースと
対戦する機会は無く、晩年になっても、
それを残念がっていたといいます

どんな境遇でも、いかなる不運に見舞われても
決して諦めることなく、悲観することなく
戦い続けた伝説の大投手サチェルペイジ

いかがでしたでしょうか?

ご視聴、ありがとうございました。

これからも頑張って更新していきますので
チャンネル登録よろしくお願いいたしますね!

それではまたお会いしましょう!

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