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【トラックスラー】同じポジションにいた高い壁に阻まれマイナー暮らしを余儀なくされていた巨漢は来日するや丸々とした体形にチョビヒゲ姿のキュートな風貌で人気者となり天才イチローから主役の座を奪った巧打者

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はブライアン・トラックスラーを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=D1S1qmpdDyI

1967年、アメリカ合衆国で生まれた
トラックスラーは、ニューオーリンズ大学を卒業した
1988年、MLBドラフト16巡目で
ロサンゼルス・ドジャースから
指名されて入団すると、野球留学をしていた
山本昌(やまもとまさ)や、のちに日本に
やって来る
タフィ・ローズ、デーブ・ハンセン、
キップ・グロスらと
ともにマイナーリーグで汗を流しました。

2Aで打率3位の好成績を残した事から
1990年の4月24日、
史上3人目となる3000本安打に500本塁打を達成し、
史上最高のスイッチヒッターと評された
エディ・マレーの代打として
メジャーデビューを飾ったのです。

その後も主にピンチヒッターとして登場すると
ニューヨーク・メッツの大エース、
デビッド・コーンから二塁打を放ちましたが
11打席でヒットはこの1本のみという結果に
再びマイナー暮らしを余儀なくされました。

1993年、ドジャース傘下の3Aアルバカーキで
127試合に出場して
打率3割3分3厘、18本塁打、83打点をマーク、
492打席でわずか36三振しかないミートの
上手い左打者を球団は評価していましたが、
同じ一塁のポジションには
同期入団したライバルで、のちにチームの
主砲を務めた
エリック・キャロスがいたのです。

3A通算6シーズンで544試合に出場して
打率3割2厘、49本塁打と
ハイレベルな打撃センスを見せていた
未完の大器に、ダイエーの海外事業部が
目をつけると、高すぎる壁に
行き詰まりを感じていた26歳の若者は
年俸5000万円で契約、
海を渡ってきたのでした。

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