レロン・リーという男
1948年、アメリカ合衆国カリフォルニア州で
建設会社リー・カンパニーを経営していた父親のもとに
6人兄弟の長男として生まれたリーは
グランドユニオン高校時代、
アメリカンフットボールでも
活躍したほどの逸材で、高校を卒業した1966年、
MLBドラフト1巡目の高評価を受け
セントルイス・カージナルスに入団します。
その期待通り、1年目から1Aのリーグ新人王に
選ばれると、1969年にはメジャー初昇格を
果たしましたが
控えの外野手と言う立場から出番が与えられる事は
ほとんどなく、カナダ人として初めて
アメリカ野球殿堂入りした
ファーガソン・ジェンキンスから
メジャー初本塁打を記録はしたものの
1971年、サンディエゴ・パドレスに移籍しました。
環境が変わった事で才能が開花したリーは
翌1972年、打率3割、12本塁打、47打点を
マークして
オールスター戦に選出されるほど実力を
発揮し始めましたが
選手の給料から罰金を天引きするフロントの
やり方に抗議したり
黒人選手の待遇改善に奔走した事から球団に
睨まれ、クリーブランド・インディアンズに放出
されてしまいます。
移籍先でも腫れ物扱いは変わる事なく、
3割を打っても出場機会に恵まれず
今度はロサンゼルス・ドジャースに放出されますが
同じく代打生活を余儀なくされました。
やむなく来季は新球団が出来るシアトルか
トロントに行ってマイナー契約しか道はないかと
悩んでいた矢先、
前年まで4年間ロッテでプレーし打撃コーチを
務めていたジム・ラフィーバーから
日本でやらないかと誘われたのです。
多くのメジャー関係者が
「彼がもし常時出場していたら
大リーグでもスターに
なっていただろうね」と証言しているほど
実力はあっても理不尽な理由でチャンスを
もらえない現状に嫌気がさしていたリーは
日本行きのオファーを快諾、
これまでの2倍となる年俸6万5千ドルの好条件で
29才と油が乗った若者は海を渡ってきたのでした。
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