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ドミンゴ・マルティネスという男

1965年、ドミニカ共和国の首都
サントドミンゴに生まれた
マルティネスは高校卒業後、
アメリカでの成功を夢見て、
2Aノックスビルや
3Aシラキュースで汗を流すと
1992年、トロント・ブルージェイズから
メジャーデビューを
果たしました。

翌年はチームの一員として
ワールド・シリーズで世界一にも
輝きましたが、MLBでの出場は2年間で
15試合にとどまり
通算本塁打はわずか2本と
出口の見えないエレベーター生活のほか
メキシカンリーグなどを転々とする
野球人生に行き詰まりを感じていた矢先、
1996年限りで巨人にFA移籍した清原に代わって
中軸を打てる大砲を探していた
西武ライオンズが
白羽の矢を立てたのです。

もともと、のちに巨人入りする
ルイス・デロスサントスに
狙いを定めていましたが、
実際のプレーを見たスカウトが
「これはダメだ」と判断して白紙に戻すと
数少ないメジャーの試合でみせていた
長打と巧打を併せ持った才能に可能性を
感じて交渉の席につきました。

異国の地で野球人生のラストチャンスに
かける決意をした身長185センチ、
体重102キロの巨体は年俸8000万円の
1年契約を結ぶと海を渡ってきたのです。

大ベテランのような肉体と
大きく膨らんだお腹でキャンプ地に
現れた助っ人を目の当たりにした
東尾監督は困惑の表情を浮かべましたが
その予感は的中、
歩いていただけでアキレス腱を痛めたと
キャンプイン早々に離脱していきました。

リハビリをサポートしたトレーニングコーチは
「運動する以前の問題。腹筋すら出来ません」と
困り果てて首脳陣に報告し、
走れない守れないどころか、歩けない動けない
助っ人に指揮官も
「早く代わりの外国人を探してくれ」と
フロントに泣きついたのです。

オープン戦に入ってもボールにかすりもしない
扇風機状態の4番候補は
スペイン語以外、日本語はおろか英語も話せない
うえに2歳サバを読んでいた事も発覚するなど
関係者は完全に諦めの境地で
シーズン開幕を迎えるしかありませんでした。

そんな逆風の中でも
試合前のミーティングに20分早く来ては
担当スコアラーから相手投手のクセや
特徴を熱心に聞き出し
土井コーチが
「あんなに研究熱心な助っ人は見た事がない」と
絶賛するほど、コーチの言う事に
素直に従い、減量しながらケガ防止の
メニューに取り組んだマルティネスは、
4月初旬に奥さんと長男が来日したのを
契機に打棒が爆発したのです。

5月5日のロッテ戦で来日初の1試合2発を
マークするなど月間MVPに選出され、
本塁打と打点のタイトル争いにも
顔を出すようになると
1番松井、2番大友、3番高木の
若さあふれる俊足トリオが
62盗塁、31盗塁、24盗塁と走りまくり、
後ろの鈴木健とマルティネスがかえす
オーダーが機能していきました。

あまりの鈍足に守備はとても期待できないものの、
指名打者制があるパリーグでは全く問題なく
5番、指名打者として打てば
負けないマルちゃん神話が誕生、
その人気に目をつけた東洋水産が
本塁打1本打つたびに主力商品10ケースを贈る
マルちゃん賞を新設したほか、
タイトルを獲得したら100万円、
三冠王なら500万円のボーナスも設定されるほど
3年振りのリーグ優勝に大きく貢献したのです。

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