ダン・セラフィニという男
割引あり
1974年、サンフランシスコのイタリア人家系に
生まれたセラフィニは、
スタンフォード大学を経て
ミネソタ・ツインズに入団すると、1996年の
メジャー昇格を皮切りに翌年には
初勝利も上げましたが、その後は
シカゴ・カブスやピッツバーグ・パイレーツなど
メジャー4球団を渡り歩く日々を送っていました。
2002年に韓国プロ野球ハンファ・イーグルスと
契約するも、規約に抵触する事項があったとして
白紙になった事から台湾プロ野球に所属、
翌2003年にはメキシカンリーグを経由して
シンシナティ・レッズでプレーするなど
世界中を転戦したのです。
ちょうどその頃、ネイサン・ミンチーの控え助っ人を
探していた千葉ロッテマリーンズは
コントロールはアバウトでしたが
打者を威圧する150キロ近いストレートに
スライダーやチェンジアップを投げ込んでくる
左腕に目を付けて交渉を開始すると
身長185センチ、体重86キロの
サウスポーは海を渡ってきたのでした。
世界各地で10球団に在籍してきた助っ人は
あくまで第5の外国人という立場から
開幕当初は2軍暮らしを余儀なくされましたが、
チームの絶対的エースとして前年14勝を
あげたネイサン・ミンチーが登板間隔をめぐって
ボビー・バレンタイン監督と衝突、怪我も重なり
6月半ばに戦線を離脱すると
貴重な左腕として先発や中継ぎにフル回転したのです。
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