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ジム・アボットという男

割引あり

今日、取り上げるのは、
右手を失うというハンディキャップを抱えながら
左手1本でノーヒットノーランまで成し遂げた
不屈の大投手ジム・アボットです

生まれつき右手の手首より先がない、
先天性右手欠損という
ハンディキャップを抱えながら
アメリカ合衆国ミシガン州で幼少期を過ごします。

5歳の時、我が子に野球を教えようと庭に連れ出した
父マイクは、右利き用グラブを右手首の上に乗せ、
投球の直後にグラブを左手にはめ直す、グラブスイッチ、
のちにアボット・スイッチと呼ばれる投法を考案しました。

8歳からリトルリーグでプレーし始めると、
めきめきと頭角を現し、フリント中央高等学校では
エースとして活躍、卒業後にトロントブルージェイズから
ドラフト指名を受けますがこれを拒否、ミシガン大学に進学します。

大学でもその活躍は止まらず、チームを2回の優勝に導くと、
1987年には野球選手としては初めてアメリカで一番活躍した
アマチュア選手に与えられるジェームスサリバン賞を受賞したのでした。

アメリカ代表として、ソウルオリンピックにも出場。
決勝では、野茂英雄、古田敦也、野村謙二郎、
潮崎哲也ら、後にプロ野球で活躍する逸材ぞろいの
日本代表と対戦し、先発完投で金メダルを獲得すると
その華麗なる実績をひっさげて、むかえた1988年。

ドラフト1巡目でカリフォルニア・エンゼルスから
指名を受けて入団、マイナーを経験することなく
いきなり先発ローテーション入りを果たし、
5月17日のボストンレッドソックス戦で初完封を達成しました。

1年目から12勝、そこから3年連続2桁勝利を飾ると
1992年、病気やハンディキャップを克服して好成績を残した選手に
贈られるトニー・コニグリアロ賞を受賞します。

その年のオフには年俸2350万ドルで
二ューヨーク・ヤンキースへ移籍して迎えたシーズン、
9月4日のクリーブランド・インディアンス戦に先発し
ヒットを1本も打たせることなく迎えた最終回、

インディアンス最後の攻撃は1番ロフトンからの好打順で
いきなりセーフティーバントを仕掛けますがファール。

本拠地ヤンキースタジアムの観衆から大ブーイングの中、
セカンドゴロに打ち取られて1アウト。次の打者を
センターフライでツーアウトとして最後に迎えるは、
強打の二塁手、カルロス・バイエガ。

アボットの左腕から放たれた渾身の一球で
ショートゴロに抑え、なんとノーヒットノーランの
大記録を達成しました。

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