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黒田博樹という男

割引あり

世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、
黒田博樹(くろだひろき)さんを取り上げていきます。

1975年、大阪府に生まれた黒田は、
南海ホークス6番センターとして
リーグ優勝3連覇に貢献した
父親が監督を務めるボーイズリーグに所属して
野球を始めると、高校時代は3番手の
控え投手に甘んじていましたが、
専修大学のセレクションに合格して進学します。

1996年、スピードガン表示が始まった
神宮球場において、150キロを計測するなど
1学年上の小林幹英と2本柱を形成、
3年時にはエースとして
東都大学1部リーグ昇格に貢献しました。

気持ちのこもった投球を目にしていた
広島カープは早くから、このダイヤの原石に
接触、黒田自身も自分の可能性を見出してくれた
広島に恩義を感じて1996年、
ドラフト会議でカープを逆指名したのです。

「指名の挨拶時に持参した契約書の金額が
間違っていたにも関わらず、気にせずに
その場でサインしてくれた。金より
ハートを大事にする男を獲得出来たと思って
嬉しかったね」とスカウトは語りました。

4月25日のジャイアンツ戦、初登板初先発を
完投で飾ると、
そのまま先発ローテーション入りを果たして
徐々にエースへ成長、
2001年には12勝をマークして
チームの勝ち頭となります。

2005年にはセ・リーグ最多勝、
2006年は最優秀防御率を獲得するなど
球界を代表する投手となった黒田を
中日の落合監督は
「今日の黒田は俺が現役の時でも打てない」と
絶賛するほどでしたが、この年のオフに
FA移籍が取りだたされました。

エース流出を阻止すべく広島ファンは
「我々は共に闘って来た、今までもこれからも。
未来へ輝くその日まで、君が涙を流すなら
君の涙になってやる」と記した巨大フラッグを
掲げると、その声に心を動かされた黒田は、
国内なら生涯広島を宣言して
メジャー移籍も可能な4年12億円の条件で
残留を決めたのです。

広島に残った2007年も5年連続の開幕投手を
務めあげ、球界のエースと呼ばれるまでに
成長した黒田でしたが、チームはBクラスから
抜け出せない現状に
「このままでは成長できない。
挑戦こそが己を高めるんだ」と
メジャー移籍を決意、球団オーナーに相談すると
「背番号15は空けておく、いつでも帰ってこい。
アメリカで欲しいものがあったら
すぐに送ってやるから。
お好み焼きのソースでもいいぞ」と
背中を押されました。

その恩に報いるために「必ず帰る」と
約束してメジャー挑戦を表明すると
以前から黒田に目を付けていた
ロサンゼルス・ドジャースが
3年総額3530万ドルを提示、
身長185センチ、体重86キロのサムライは
海を渡ったのです。

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