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【シャーマン・オバンドー】緊急補強でやってきた身長2メートルのパナマの大男は長打率ナンバーワンの主砲となってチームを支え 二度目の来日は観光ビザに自腹でやって来るとまたシーズン途中から活躍した助っ人

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はシャーマン・オバンドーを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=734_bsS1cds&t=23s

1970年、パナマで生まれたオバンドーは
プリネルシクロ・デ・パナマ高校を卒業した1987年、
アマチュアFAでニューヨーク・ヤンキースから
指名され入団すると1993年、
ボルチモア・オリオールズ移籍を
キッカケにメジャー初昇格も果たしましたが
レギュラー定着には至らず
その後はモントリオール・エクスポズや
メキシカンリーグを転々とする日々を
過ごしました。

1999年、日本ハムファイターズはケガにより
長期離脱していたナイジェル・ウィルソンの
穴埋めとして身長2メートル、体重100キロの
巨漢に目をつけて交渉を開始、
シーズン途中の5月に
契約がまとまると海を渡ってきたのです。

5月22日、東京ドームでの
大阪近鉄バファローズ戦、6番レフトで
先発初出場を果たしますが来日初打席は
ゲッツーに終わり
その後も時差ぼけが長引いた影響からか
なかなか1本がでませんでした。

5日後の西武ライオンズ戦、
2回表、相手のエース西口からレフトスタンドへ
ホームランをかっ飛ばしたの皮切りに
徐々に調子を上げていくと
最終的に打率3割6厘、20本塁打、
62打点を記録し、1年目からチームの
主軸となったのです。

迎えた翌2000年は開幕から好調をキープし
打率3割4分3厘、9本塁打、25打点で
4月の月間MVPを獲得、
首位スタートの原動力となりました。

その後は怪我で30試合近く欠場したにも
かかわらず、最終的にイチローに次ぐ
パ・リーグ2位の
打率3割3分2厘、30本塁打、101打点と
3割30本100打点をクリアし
ベストナインに選出されたばかりか
オールスターゲーム出場や
長打率リーグ1位にも輝きます。

3年目の2001年は開幕3戦目に自打球を
左足に当て骨折したかと思えば
8月には
腰椎椎間板症(ようついついかんばんしょう)
を発症し、わずか52試合の出場に
留まりました。

復活を期した4年目の2002年は
自己最多の118試合に出場、
26本塁打、68打点を記録しましたが、
ヒット116本、打率は2割6分3厘と
膝の怪我の影響で本来の力を出し切れず
この年限りで日本ハムを退団すると
フロリダ・マーリンズに所属していた右の長距離砲
ケビン・ミラーと2年総額660万ドルで契約していた
中日ドラゴンズが、紳士協定を無視した
レッドソックスにミラーを突然横取りされる
ケビン・ミラー問題のあおりを受けて
助っ人を探していた事から
アレックス・オチョアとともに
候補にあがりましたが、
「もう日本には戻りたくない」と断りをいれ
メキシカンリーグでのプレーを選択したのです。

ところが北海道移転の初年度2004年、
日本ハムはエンジェル・エチェバリアの不調に加え
小笠原や金子のアテネ五輪参加で
打線が薄くなりかけていたところ
シーズン途中にも関わらず
意外な来客がやってきました。

観光ビザで来日し、自腹で日本ハムのテストを
受けに来た助っ人は
「現役の最後は大好きな日本ハムで終わりたい」と
日本球界復帰を切望すると、その熱意が
伝わったのか、
球団は入団テストの上、年俸1000万円で
再契約、パナマ時代に野球を指導した教え子、
フェルナンド・セギノールと同僚になり
持ち前の長打力と勝負強い打撃で
チームに貢献、Aクラス入りと
プレーオフ進出の原動力になったのです。

セギ様と呼ばれて親しまれていた
セギノールにならって、オバ様とファンに
呼ばれた大砲でしたが翌2005年は
うって変わって打撃不振のため解雇されると
シーズン途中の6月28日、ひっそりと
帰国の途に着きました。

2006年3月、WBCのパナマ代表にも
選出されたスラッガーは
テークバックをほとんど取らない
手打ちのようなフォームから
最短でインパクトに向かう穴のない打撃で
「全部のコースを試したけど全部打たれるから
投げるとこがない」と相手チームに言われるほど
打ち取りづらいバッターだったのです。

大げさなジェスチャーや
派手なパフォーマンスは一切せず
ただ静かに打席に突っ立っていながら
4番の風格を漂わせる右の大砲は
東京ドームの看板直撃弾を通算11回と
量産した事から看板男と名付けられ
7月に入ると凄まじいペースで調子が
上昇していった長打率は通算5割超えの
夏男でした。

いつも大きな怪我に悩まされ、フル出場できれば
もっと活躍出来ただろうと思わせる助っ人は
ファーストストライクの甘い球を狙い
普通の右バッターであればウイークポイントとなる
内角高めのボールを器用に腕をたたんで叩く
インコースヒッターとして
NPB437試合で通算打率2割9分4厘、102本塁打、
314打点の成績を残したのです。

2回ともシーズン途中の緊急補強要員という
特異な状況からチームに加わったにもかかわらず、
しっかりと自分の役割をこなし
西武ドームの外野テレビカメラを破壊するほどの
パワフルな打撃とは裏腹に
マイクを向けられるとどこか恥ずかしそうに
静かに微笑んでいる稀代の好打者、
シャーマン・オバンドー。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちをご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。

ご視聴ありがとうございました

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