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ネイサン・ミンチーという男

1969年、アメリカ合衆国テキサス州で生まれた
ミンチーはフルーガービル高校時代から
身長2メートルを超える大型投手として注目され
卒業した1987年、MLBドラフト2巡目という高評価で
モントリオール・エクスポズから指名を受け
入団しました。

1巡目トップでシアトル・マリナーズから
指名を受けたケン・グリフィー・ジュニアらと
同様、上位指名選手としてその期待は大きく
ルーキー・リーグでメジャー昇格を目指して
奮闘しますが思うように力が発揮できないまま
ボストン・レッドソックスへ移籍します。

6年の歳月が過ぎようとしていた1993年
優勝の可能性が無くなったシーズン終盤では
ありましたがチームメイトの
ティム・ウェイクフィールドから
伝授されたナックルボールも武器にして
頭角を現すと、ようやくメジャー昇格の
チャンスを掴みました。

最終的に5試合に先発して1勝2敗、防御率3.55と
まずまずの結果を残して迎えた翌年、
6試合の登板機会を得ましたがメジャー定着
には至らず、コロラド・ロッキーズに移籍します。

1997年、3Aのコロラドスプリングスで
27試合に登板して15勝6敗、
3Aオールスターゲームにも選ばれるなど
好成績を上げた事で再びメジャーに昇格しましたが
2試合の登板で防御率13.50という不本意な成績に、
これまでも何度か誘いのあった
日本球界への入団を考え始めたのでした。

ちょうどその頃、三村監督のもと、
野村、前田、江藤、金本ら
ビッグレッドマシンと呼ばれた12球団
最強の打線で攻撃的な野球を展開していた
広島でしたが、ディフェンス面では
先発不足など投手陣の崩壊に頭を
悩ませていた事から
打者を見下ろしながら投げる
完投能力の高い長身投手に
白羽の矢を立て交渉を開始します。

すると
ミコライオ来日まで球団記録となる
身長203センチ、体重118キロの巨体は
「アメリカとは違う文化の国で
プレーしたい」と
契約金無しの年俸5200万円で
海を渡ってきたのでした。

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