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入来祐作という男

割引あり

今回は、入来祐作さん(いりき ゆうさく)を取り上げていきます。

宮崎県で自衛官の家に生まれ、兄の智(さとし)と
同じ少年野球チームで野球を始めると
中学では投手として完全試合を3回、ノーヒットノーランを6回
成し遂げるなど、すでにその力を見せつけていました、

全国26校の高校から誘いを受ける中、PL学園に進学、
宮本慎也(みやもと しんや)、坪井智哉(つぼい ともちか)、
今岡誠(いまおか まこと)などプロ入り後も大活躍する
チームメイトとともに、汗を流すと、
卒業後は亜細亜大学のエースとして
後輩の井端 弘和(いばた ひろかず)らとともに
東都大学リーグで活躍しましたが、4年時に右肩を負傷してしまいます。

立正大学(りっしょうだいがく)のエース
西口文也(にしぐち ふみや)との投げ合いも
演じましたが、手術の影響もあり卒業後はプロでもなく
本田技研への入社を選択した2年目。

ケガも完治し、チームメイト大塚晶文(おおつか あきのり)との
2本柱で都市対抗野球でチームを優勝に導くと
1996年ドラフト会議で
読売ジャイアンツから1位指名を受けプロ入りを果たしました。

1997年、プロ1年目から即戦力として
セットアッパー、ストッパー、ロングリリーフ、
さらに先発もこなすなど、潜在能力の高さを示した
シーズン終了後、ハワイのウィンターリーグに参加した事で
メジャーリーグへの挑戦を夢見るようになります。

1998年、東京ドームで開かれた日米野球親善試合に先発、
メジャーの大砲サミー・ソーサを2打席連続三振にきって取り
ますます夢を膨らませていくと
1999年、兄がトレードで巨人に移籍してきたため、
球団史上初めて、現役選手として兄弟で同じチームに在籍したのでした。

2001年、ガルベスから教わったチェンジアップで投球に緩急を
付けられるようになると
前半戦で3連勝を含む8勝を挙げ、オールスターゲームにも初出場、
シーズン通してチーム最多の13勝と最高勝率をマークし
プロ入りから5年、巨人のエースと呼ばれるまでに成長しました。

その2年後にはメジャーリーグ挑戦を容認してくれる条件で
北海道日本ハムファイターズへ移籍。
2005年のシーズン終了後、2年総額2億円という日本ハムの
残留要請にもかかわらず、自分の夢を貫き通して
プロ10年目を迎えた33歳で海を渡りました。

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