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キム・テギュンという男

1982年、韓国に生まれたキム・テギュンは
身長195センチの大男にして
韓国相撲シルムの選手だった
祖父の血を受け継ぎ
「幼い頃から野球や相撲で
友達に負けた事がない」と言うほど
ガッチリした体格と天性のパワーを備えていました。

中学時代、グラウンド場外の駐車場まで
打球を飛ばし、何度も車のガラスを
割ったという稀代のスラッガーは
類まれなるポテンシャルを見せつけると
天安北一(チョナンブギル)高校では
毎日猛練習に明け暮れる野球漬けの日々を
送ったのです。

決して弱音を吐かない練習の虫として
イ・デホ、チュ・シンスらとともに
世界野球選手権大会の韓国代表に
選ばれると、2001年、ドラフト1次指名で
ハンファ・イーグルスに入団しました。

第2のチャン・ジョンフンと期待された
1年目から88試合に出場、打率3割3分5厘、
20本塁打、54打点の活躍で新人王に選ばれると
3年目の2003年は打率3割1分9厘、31本塁打を
放ちましたが、韓国の一塁手といえば同年、
56本のアジア本塁打記録をうち立てた
イ・スンヨプが君臨していたのです。

5年目にして初めて
ゴールデングローブを獲得した
キム・テギュンは翌年、WBC韓国代表に
選出されましたがイ・スンヨプの控えに
甘んじたばかりか、2008年の北京オリンピックでも
再びイ・スンヨプやイ・デホとポジションが
重なり代表チームに入れませんでした。

シーズンの方では打率3割2分4厘に
31本塁打で自身初の本塁打王に輝くと
代表入りを辞退したイ・スンヨプに
代わって第2回WBC韓国代表に選ばれ
全試合4番ファーストで出場、
打率3割4分5厘、3本塁打、11打点の活躍で
大会ベストナインに選出されたのです。

松坂大輔から看板直撃弾を放つなど
準優勝に貢献した大砲は
「日本の投手は韓国のエース級より
さらに上でした。
特に岩隈投手が印象に残っています」と語ると
バレンタイン体制から一新した
西村監督のもと、来シーズンに向けて
外国人で4番を打てる選手を探していた
千葉ロッテマリーンズから声がかかりました。

メジャーや南米を含めて
ピックアップされた6人の
補強者リストに入っていた
キム・テギュンは
「ハンファのファンや球団に申し訳ないと
思いましたが日本行きは私の夢でした。
ロッテと楽天からオファーを貰い、
楽天の方が条件は上でしたが
イ・スンヨプさんも在籍した事があり
韓国人の扱いに慣れているロッテに
決めました」と
年俸1億5000万円の3年契約を結んだ
身長185センチ、
体重110キロの助っ人は海を渡って来たのです。

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