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井川 慶という男

割引あり

世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、井川 慶さんを取り上げていきます。

茨城県大洗町で生まれ、同郷の先輩、デーブ大久保とは実家も近く、
小中高すべて同じ道を歩んで、名門、水戸商業高校に進学すると、
3年春の県大会で、7回まで21個のアウトのうち、18個を
三振で奪うという快投を見せます。

甲子園出場は叶いませんでしたが、のちに阪神タイガースで
チームメイトになる能見(のうみ)と並んで、プロ注目の高校生左腕として、
1997年、ドラフト2位で阪神に入団。プロ野球人生がスタートしました。

1999年、2000年、ともに1勝でシーズンを終えましたが、
2001年、野村監督から先発ローテーションに抜擢(ばってき)されると
その才能が開花、制球力を磨くために
ダーツの的に当てるイメージで投げろ、という
監督のアドバイスを受け、ダーツボードを購入し、
自主トレに励んだ結果、
初完投勝利やオールスターゲーム出場も果たし
最終的に9勝、防御率はリーグ2位の2.67という成績を残しました。

翌2002年、星野監督が就任、井川を開幕投手に指名すると
その期待通り、完投でチーム12年ぶりの開幕戦勝利に貢献し、
シーズン通して、14勝、最多奪三振のタイトルも獲得して
チームのエースとなりました。

翌年もエースとして4戦連続完投勝利や12連勝を記録。
セ・リーグでは上原浩治(うえはら こうじ)以来4年ぶりの20勝投手となり、
阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝にも貢献するなど
ついに球界を代表する投手となります。

2004年にはプロ野球史上71人目となるノーヒットノーランを
達成するなど
この年も14勝を挙げて、
不動のエースとなったこの頃から、球団に対して
ポスティングシステムでのメジャー挑戦を毎年のように
希望しますが、球団側は首を縦に振らず、叶うことはありませんでした。

2005年もチームのために投げ続け、13勝とリーグ優勝に貢献。
2006年も14勝をあげ、5年連続2桁勝利を達成するなど
チームに貢献し続けたことで

球団が態度を軟化、3年越しの希望であったメジャー移籍を容認し、
ついに夢の扉が開いたのでした。

11月29日、ニューヨーク・ヤンキースが30億円で
落札し、5年2000万ドルという大型契約を結んで入団すると、

2007年、4月7日、ついにその時が訪れます。
本拠地ヤンキー・スタジアムでのボルチモア・オリオールズ戦で
メジャー初登板、思い焦がれた夢のマウンドに3年越しで
立ったのでした。

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