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【リッチ・ゴセージ】2つの球種だけで強打者をねじ伏せヤンキースでワールドシリーズを制覇して世界一のクローザーとなり来日 年齢からくる衰えはあったが本物の大リーガーが持つ雰囲気を感じさせたファイヤマン

割引あり

おはようございます。
日本にやってきた
大物助っ人たちの真相に
迫る番外編、今回は
リッチ・ゴセージを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=Oar5Ua4RBBw

1951年、アメリカ合衆国コロラド州に生まれた
リッチ・ゴセージは
シカゴ・ホワイトソックスからドラフト9巡目で
指名され入団した2年後の1972年、
メジャーデビューを果たすと、1975年には
クローザーに定着し、62試合に登板、
9勝8敗、防御率1.84に
リーグ最多の26セーブを記録して
オールスター戦にも初選出されました。

翌年は先発に転向したものの
防御率3.94、9勝17敗と大きく負け越し、
シーズン終了後に
ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した事をキッカケに
再びクローザーに復帰すると
72試合で11勝9敗26セーブ、防御率1.62と
抜群の安定感を見せたのです。

その年のシーズンオフ、金持ち球団
ニューヨーク・ヤンキースから
6年総額360万ドルのオファーを受けて
移籍すると、1年目から
セットアッパーのロン・デービス、
スパーキー・ライルらとともに
ヤンキースのブルペンを担い、
防御率2.01、10勝11敗27セーブの成績を残して
セーブ王を獲得、さらにワールドシリーズ制覇にも
貢献して世界一のクローザーとなりました。

1980年には64試合に登板して6勝2敗33セーブ、
防御率2.27で3度目のセーブ王に輝いたほか
MVPの投票ではジョージ・ブレット、
レジー・ジャクソンに次ぐ3位となり
サイ・ヤング賞の投票でも3位に選ばれたのです。

1983年7月24日に行われた本拠地ニューヨークでの
ロイヤルズ戦では、9回表に登板すると、
ロイヤルズのジョージ・ブレットに
逆転2ランを打たれましたが、直後にヤンキースの
ビリー・マーチン監督が猛抗議、
「ブレットのバットに塗られている滑り止めの
パインタール、松ヤニが随分前から気になっていた、
いつか抗議してやろうと思っていたんだ。規定を
超えているだろ」とホームランの無効を主張すると
審判団は判定を覆してバッターアウトを宣告しました。

当然、ブレットは血相変えて反論するも受け入れられず
後日ロイヤルズは提訴に踏み切ると
ア・リーグのリー・マクフェイル会長は「悪意なし」と
今度は一転、本塁打を認めた事で
9回表ツーアウト、5対4でロイヤルズリードの場面から
やりなおしとなったのです。

8月18日、わずか1200人の観客の前で始まったゲームは
あっさりロイヤルズの勝利で終わりましたが
パインタール事件と呼ばれた球史に残る試合に
関わったリッチ・ゴセージ、リー・マクフェイル、
ジョージ・ブレットの全員がのちに野球殿堂入りし、
ビリー・マーチンもヤンキースの永久欠番という
豪華な面々による珍事でした。

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