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ブーマー・ウェルズという男

割引あり

ウイリー・メイズやウイリー・マッコビーといった
スーパースターを輩出したアメリカ合衆国の
アラバマ州で
生まれ育った本名グレゴリー・デウェイン・ウェルズは
12歳から大人の草野球チームに交じってプレーすると
183センチ、80キロの体格で高校時代は
セカンドや外野を主に守っていました。

他にもアメリカンフットボールや
バスケットボールでも頭角を現し
ニューヨーク州立大学オールバニア校時代には
アメフトの選手として、NFL入りを目指します。

1975年、NFLドラフト16巡目でニューヨーク・ジェッツに指名され、
2カ月ほどプレーしましたが
ヒザの半月板を痛めた影響から
自由契約となった事で野球に転身、
アマチュアFA選手として、MLB傘下パイレーツと
契約を結び、野球の世界に足を踏み入れました。

1981年にトロント・ブルージェイズ、
翌年にはミネソタ・ツインズの
3A(スリーエー)トレドに移籍、
マイナリーグの試合で打った特大ホームランを
見たファンが爆発男ブーマーと呼んだのを
きっかけに、放送席も強烈な打球を
ブーム・オフ・ザ・バットと表現、
場内アナウンスもブーマー・ウェルズの呼び名で
定着しました。

するとその年のシーズンオフ、想像もしなかった
展開が待ち受けていたのです。

長打の打てる助っ人を探しにハワイの
ウィンターミーティングに
参加していた阪急ブレーブスの関係者は当初、
ランディ・バースに目を付けていましたが
阪神タイガースとの競り合いになり、こう着状態に。

それではと、長打力がありながら
三振の少ないブーマーにも
白羽の矢を立て、同時進行で所属先の
ツインズと交渉します。

ツインズ側はメジャーに昇格させる予定があるからと
移籍を拒否しましたがトレードマネーを
支払う条件や、ツインズのオーナーが黒人嫌いで
知られていた事から
最終的には売却に同意、ブーマーとの交渉権を
手に入れる事に成功しました。

マイナーで打率3割3分6厘、打撃の名手と呼ばれ
ファンの人気も高かった28歳のブーマーは
トレードマネーを稼ぐために商品のように
自分が売却された事に
絶望しましたが、拒否すれば500万円だった年棒も
打ち切られ、野球を続けるには日本行き以外の
選択肢はないと海を渡ることを決断します。

6年間、NPBで活躍したチャーリー・マニエルから
日本の野球について事前に情報を収集、
日本で5年は野球をやってアメリカに家を建てたいと
新たな夢を描き、年棒3800万円で契約、デブラ夫人から
食事代として貰える1日2000円の小遣いを握りしめ
神戸の自宅から阪急電車を利用して球場へ通いながら
ハングリーに野球に打ち込みました。

阪急の関係者からキャンプ地の高知はフロリダの
ようなところたがら楽しんでくれと言われ行ってみたら
雪が降っていたというキャンプ初日、
身長2メートル、体重100キロの巨体は
いきなり日本人の度肝を抜きます。

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