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建山義紀という男

割引あり

世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、建山義紀(たてやまよしのり)さんを取り上げていきます。

本塁打王にも輝いた西武ライオンズの
中村剛也(なかむらたけや)など
多くのプロ野球選手を輩出し続ける大阪の
名門ボーイズリーグに中学時代は所属し、オーバースローの
6番手ピッチャーでしたが、
サイドスローに変更すると、その才能が一気に開花。

進学した東海大仰星高校でも同級生の上原浩治を抑えてエースに君臨、
卒業後は専門学校を経て松下電器に入社します。

都市対抗野球でチームのベスト4に貢献する
好投を見せた事でプロ注目の投手となった1998年。

日本ハムファイターズからドラフト2位指名を受け
入団するとプロ入り1年目から先発ローテーションに定着、
防御率2.89の安定感で6勝を挙げるなど
即戦力として活躍しました。

1勝ごとに1万円をヤンバルクイナ保護施設に寄付する
活動を行っていたため、
募金箱に6万円を投入しましたが、突然、募金箱に
大金が入ったと施設は騒然となり、
警察に届けようと騒ぎになった事があったそうです

2002年からは中継ぎに転向、
短いイニングに専念した事でストレートの球威が増加し
鋭いシンカーとスライダーも効果を発揮した事で
リリーバーとしてポジションを確立すると
プロ初セーブを挙げるなど
45試合に登板して防御率2.29の好成績を残しました。

2003年はチーム事情から抑えを任されると、
防御率2.17、15セーブを記録、

翌2004年は、ストッパーの横山道哉(よこやまゆきや)に繋ぐ
セットアッパーとして、41試合に登板し防御率2.33、
リーグ最多の13ホールドを挙げ、最優秀中継ぎ投手にも
選ばれました。

3年連続防御率2点台前半の安定した内容は
最優秀救援投手に輝いたストッパーの横山とともに
タテヨココンビと称され

2006年には、武田久(たけだひさし)、岡島秀樹、
マイケル中村らと、
リーグ屈指の強力リリーフ陣カルテットを形成、
自己最多の46試合に登板し、チームのリーグ優勝
ならびに日本一に貢献したのです。

2008年も23ホールドを記録、2010年にも宮西とともに
セットアッパーとして58試合に登板して
チーム1位の26ホールド、防御率1.80の自己最高成績で
シーズンを終えると
同級生の上原や同期の川上がメジャーでプレーしている姿に
触発されたと海外FA権を行使、ついに
メジャー挑戦の機会を手に入れました

日本の契約より金額は下がりますし、お金は
欲しいですけど、リスクがあっても
アメリカで野球をしたいんです。マイナー契約でも構わないし
希望球団も全くありません。と海を渡ります。

早い時期から入念な調査を続け、スカウトが
30試合以上も視察に訪れていたアリーグ西地区の強豪
テキサス・レンジャーズが獲得の意思を固めると、
2010年11月30日、1年80万ドルで契約を締結し
傘下の3A(トリプルエー)ラウンドロック・エクスプレスに
所属、夢の第一歩を踏み出したのでした。

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