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デニス・サファテという男

割引あり

1981年、アメリカ合衆国ニューヨーク州に生まれた
本名デニス・スコット・サファテは
ギルバート高等学校を卒業した1999年、
MLBドラフト15巡目で
テキサス・レンジャーズから指名されましたが
これを拒否、アリゾナ州立大学に進学します。

編入した
チャンドラー・ギルバート・コミュニティ・カレッジ
在学時の2001年、今度はMLBドラフト9巡目で
ミルウォーキー・ブルワーズから指名されて
入団すると、2006年のフロリダ・マーリンズ戦で
メジャーデビューを飾りました。

ヒューストン・アストロズにトレードされた
2007年には自己最速159キロを記録したほか
メジャー初勝利も手にした右腕(うわん)でしたが
シーズンオフにMLBを代表する遊撃手
ミゲル・テハダの交換要員として
ボルチモア・オリオールズに移籍すると
翌年は鎖骨骨折、翌々年は右手の血行障害など
思うようにいかないシーズンが続いたのです。

しかし怪我も完治した2010年、
3Aで47試合に登板して
20セーブを挙げて復活を遂げた頃、
クローザーを探していた広島東洋カープは
メジャーで5勝4敗、防御率4.53の
長身右腕に白羽の矢を立てると
FAとなっていた身長193センチ、
体重102キロの助っ人は海を渡ってきたのでした。

来日1年目から
1勝3敗35セーブ、防御率1.34と期待に
応えましたが
シーズン終盤に鼠径(そけい)ヘルニアを
発症した影響から
翌2012年はキャム・ミコライオと入れ替わり、
セットアッパーへ配置転換されると
オフに自由契約が公示されたのです。

するとセットアッパーを探していた
埼玉西武ライオンズがすぐに契約、
調子を取り戻した
サファテはシーズン序盤こそ中継ぎを
任されていましたが、途中から不振の
大石に代わってクローザーに回るなど
中継ぎと抑えを兼任しながら
フル回転の活躍を見せました。

しかし、西武ドームが非常に暑かった事や
中継ぎか抑えか、役割がはっきりとしなかった事から
コンディションの調整に苦労していた右腕は
残留に難色を示すと、西武側も自由契約を公示、
抑え不在が響いて2年間優勝から遠ざかっていた
福岡ソフトバンクホークスに移籍してきたのです。

九州の地にやってきた助っ人は
移籍初年度からクローザーに定着し
全12球団からのセーブ達成や
NPB史上初の両リーグ30セーブなど
次々と快挙を成し遂げると
奪三振率12.64を記録してリーグ優勝にも貢献、
日本シリーズでは4試合に登板し
1勝2セーブの無双ぶりで頂点に立ちました。

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