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ジム・トレーバーという男

割引あり

1961年、アメリカ合衆国オハイオ州の
裕福な家庭に生まれ
オクラホマ州立大学時代は野球のほか、
アメリカンフットボールでもクォーターバック
として活躍するほど抜群の運動神経を
有していたトレーバーは1982年、
MLBドラフト21巡目でボルチモア・オリオールズ
から指名を受け入団しました。

その才能はすぐに開花し1984年9月21日、
メジャーデビューを果たしますが
トレーバーの守備位置、ファーストには運悪く、
ハンク・アーロン、ウィリー・メイズに
次いで史上3人目となる
3000本安打、500本塁打を成し遂げ
史上最高のスイッチヒッターと言われた
オリオールズの永久欠番33、
エディ・マレーが君臨していた事から
レギュラー獲得は夢のまた夢という
状況だったのです。

それでも
1985年から外野手にコンバートされると
準レギュラーとして活躍、27本塁打、117打点の
成績を残して迎えた1990年、
前年に49本塁打を放ち、優勝に貢献した
主砲ラルフ・ブライアントの
相棒を探していた近鉄は
一発が魅力のトレーバーに白羽の矢を立てました。

日米野球で来日した際、治安の良さと
きれいな街並を気に入っていた
28歳の怪力助っ人はトレードマネー2200万円、
年俸3700万円でオファーを快諾、
海を渡ってきたのです。

キャンプにオープン戦と巧みな
バットコントロールと軽やかな
ファースト守備を見せつける新助っ人に
周囲の評価は鰻登りとなり、
今季のナンバーワン助っ人は
ブライアントを上回る実力だ、など
メディアで特集が組まれるほど
話題となりました。

評論家の皆川氏は「懐が深くて引きつけがいい。
外のボールは左へ流し、内は引っ張ってくる。
阪神にいたバースに良く似ているよ」と評し
近鉄OB佐々木恭介氏も
「パワーとテクニックを併せ持っていて
打率は3割以上、ホームラン40本以上と
三冠王が狙えるバッターだよ」とベタ褒め状態。

すると、球団の期待値もグングン上がり
大物ルーキー野茂やトレンディエース
阿波野を差し置いて近鉄電車の
中吊り広告はトレーバーをメインにするほど
パワープッシュで盛り上げましたが
当の本人は
「電車内で老人がポスターと目の前にいる
自分を見比べるから恥ずかしかったよ」と
戸惑いを隠せませんでした。

オリオールズ時代は高すぎる壁だった
偉大な先輩、エディ・マレーと同じ
背番号33を日本で背負った身長182センチ、
体重96キロの助っ人はシーズンが開幕すると
1年目から、いてまえ打線の中核を担い
打率3割3厘、24本塁打、92打点に
リーグ最多の150安打と結果を残します。

翌1991年もブライアントが故障した際には
主砲としてチームを牽引、オールスター戦出場も
果たすなど最終的に打率2割7分2厘、29本塁打、
92打点でデストラーデとともに打点王を
獲得しただけでなく清原らを並み居る
強敵を抑えて一塁手のベストナインと
ゴールデン・グラブ賞にも輝きました。

チームに欠かせない存在となった
トレーバーでしたが来期の年俸として100万ドルを要求、
70万ドルを提示する近鉄と金額的に開きがあり
さらに住居の問題やFA権の付与条件でも
折り合いがつかなかった事から、この年限りでの退団が
決まったのでした。

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