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ダリル・ストロベリーという男

割引あり

今日、取り上げるのは
メジャー史上最も才能を浪費した
天才スラッガー、
ダリル・ストロベリーです。

1962年、
アメリカ合衆国カリフォルニア州に生まれた
本名ダリル・ユージーン・ストロベリーは
クレンショー高校時代、
のちに
シンシナティ・レッズで
3年連続ゴールドグラブ賞に輝く
エリック・デービスらと
しのぎを削ると
黒いテッド・ウィリアムズと
恐れられました。

1980年のMLBドラフト全体の1位で
ニューヨーク・メッツに指名されると
1982年に2Aで34本塁打、97打点、
45盗塁を記録、
1983年の5月には早々(はやばや)と
メジャーデビューを決めて
打率2割5分7厘、26本塁打、74打点の
成績を残すなど
ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出されたのです。

大器の片鱗をおおいに見せつけた新人は
翌年にはオールスターゲームに初選出され、
メジャーに昇格してきた
ドワイト・グッデンと共にチームの若き主力になると
1986年のオールスターゲーム、
ホームランダービーで優勝を飾り
シーズンの方では27本塁打、
93打点をマークしてチームの地区優勝に貢献しました。

進出したリーグチャンピオンシップシリーズでは
ノーラン・ライアンから本塁打を放つなど
アストロズを下してリーグ制覇を成し遂げると
ボストン・レッドソックスとの
ワールドシリーズでも本塁打を放ち
ついに世界の頂点に立ったのです。

108勝という圧倒的な強さを見せた
チームのスター選手にニューヨーカーは熱狂し
翌年も39本塁打、36盗塁で
「The 30-30 (サーティサーティ)Club」の仲間入りを
果たすと
1988年には本塁打王を獲得、
リーグ優勝とはならなかったものの
MVP投票で2位に入るなど
瞬(またた)く間にメジャーを代表する
スラッガーとなったストロベリーでしたが
少しずつ暗雲が立ち込めてきました。

夫人との別居報道やチームメイト同士の喧嘩に暴行、
銃の不法所持など素行不良が目立つように
なると1989年は一転して不振に見舞われた
トラブルメーカーは翌年、復活は遂げたものの
ロサンゼルス・ドジャースに放出されたほか
家庭内暴力による逮捕やアルコール中毒での
入院など野球どころではなかったのです。

1992年は打率2割弱に5本塁打、
1993年は打率1割台と
全く別人のような選手に成り下がった
ストロベリーは
妊娠3ヶ月のガールフレンドを殴打して
逮捕されると脱税も発覚し
ドジャースを解雇された事から
サンフランシスコ・ジャイアンツと契約しましたが
今度はコカイン使用が明るみとなり
わずか2か月で再び解雇されました。

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