見出し画像

アップショーという男

割引あり

1957年、アメリカ合衆国テキサス州に生まれた
アップショーは、1975年のMLBドラフト5巡目で
ニューヨーク・ヤンキースに入団しますが
その選手層の厚さからマイナー暮らしを
余儀なくされていました。

有望選手が十分な活躍の場を与えられず
傘下のマイナーリーグで飼い殺しになる事を
防ぐために作られた
ルール・ファイブ・ドラフト制度の対象となり
1977年12月、ヤンキースではメジャーに
昇格する事のないまま
新設されたばかりのトロント・ブルージェイズに
移籍します。

翌1978年4月9日、デトロイト・タイガース戦で
早速ライトの守備からメジャーデビューを
果たすと6回表にはセンター前ヒットを放ち
メジャー初安打も記録しました。

この埋もれた才能を発掘する制度によって
のちにヨハン・サンタナやシェーン・ビクトリーノ、
ジョシュ・ハミルトンら、多くのスーパースター達も
羽ばたいていったのです。

1982年からはファーストのレギュラーに定着し
チームトップの21本塁打に75打点を記録、
その翌年には打率3割6厘、27本塁打、104打点の
好成績を残してMVP投票11位に入る活躍を
見せると、のちの本塁打王セシル・フィルダーや
7年連続30本塁打のフレッド・マグリフら
若手中心のトロント・ブルージェイズの中で
主力打者として躍動します。

1988年、クリーブランド・インディアンスに
移籍した直後にFA権を取得し新たなチームを
探していたちょうどその頃、日本では
南海ホークスをダイエーが買収して福岡移転が
発表されました。

すると南海の主砲だった門田博光が
子供の教育環境の変化や単身赴任を嫌った事から
福岡行きを拒否、オリックスへの移籍が
決まったために
ホークスは急遽、主砲探しを開始します。

そこでMLB2年連続20本塁打の大砲に
目を付けたホークスは1億円でオファーを出し
スムーズに交渉を進めていましたが
同じく貧打に悩んでいた阪神タイガースが
突然、更なる好条件をチラつかせて
横やりを入れてきました。

ここから先は

983字

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!