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【ジャック・ハウエル】ブロークンバットホーマーと呼ばれた大砲はヤクルトの主軸となりサヨナラ本塁打を連発 レジェンドの記録を更新するほど打ちまくり日本一に貢献 サヨナラの場面で恐れられたその名は白い鬼

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はジャック・ハウエルを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=DpZQKT3nONI

1961年、アメリカ合衆国アリゾナ州で
生まれたハウエルは
アリゾナ大学を卒業した1983年、エンゼルスから
指名を受け入団すると
サードのレギュラーだった
ダグ・デシンセイの衰えもあり
1985年のメジャー昇格をきっかけに
2年後にはレギュラーを奪取、
バッティングのほうでも23本塁打を放ちました。

特に全米中継があった9月5日のヤンキース戦では
「折れたバットの行方を見てから
ボールに目を移したら
右中間スタンドに入っていたんだ、
あんな事もう絶対にできないね」
と語る、バットを折りながら
スタンドに叩き込んだ
パワー全開のブロークン・バット・ホーマー
として一躍有名になります。

しかし1990年から出場機会が減りはじめ、
翌年はパドレスへ移籍するも
結果を残せずに悩んでいたところ
関根監督時代の1988年にヤクルトに入団し
東京ドーム第1号ホームランを放った
ダグ・デシンセイがやってきました。

ドジャースタジアムでの試合前、
過去に三塁のポジション争いをした
元チームメイトは引退したのち、
代理人になっていた事もあり
「日本球界に興味はあるかい?
ヤクルトというチームを知っているかい?」と
日本行きを誘われます。

NPBについて何も知らなかった
ハウエルでしたが
その言葉をきっかけに日本について調べるようになると
デシンセイが仲介役となりヤクルト入りが
とんとん拍子に進んでいきました。

エンゼルス時代に一緒にプレーしていた
ジョニー・レイが
1年前にヤクルトに入団していた事も
後押しとなり
野村監督3年目の1992年、
身長183センチ、体重91キロの助っ人は
海を渡ってきます。

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