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ブライアン・トラックスラーという男

割引あり

1967年、アメリカ合衆国で生まれた
トラックスラーは、ニューオーリンズ大学を卒業した
1988年、MLBドラフト16巡目で
ロサンゼルス・ドジャースから
指名されて入団すると、野球留学をしていた
山本昌(やまもとまさ)や、のちに日本に
やって来る
タフィ・ローズ、デーブ・ハンセン、
キップ・グロスらと
ともにマイナーリーグで汗を流しました。

2Aで打率3位の好成績を残した事から
1990年の4月24日、
史上3人目となる3000本安打に500本塁打を達成し、
史上最高のスイッチヒッターと評された
エディ・マレーの代打として
メジャーデビューを飾ったのです。

その後も主にピンチヒッターとして登場すると
ニューヨーク・メッツの大エース、
デビッド・コーンから二塁打を放ちましたが
11打席でヒットはこの1本のみという結果に
再びマイナー暮らしを余儀なくされました。

1993年、ドジャース傘下の3Aアルバカーキで
127試合に出場して
打率3割3分3厘、18本塁打、83打点をマーク、
492打席でわずか36三振しかないミートの
上手い左打者を球団は評価していましたが、
同じ一塁のポジションには
同期入団したライバルで、のちにチームの
主砲を務めた
エリック・キャロスがいたのです。

3A通算6シーズンで544試合に出場して
打率3割2厘、49本塁打と
ハイレベルな打撃センスを見せていた
未完の大器に、ダイエーの海外事業部が
目をつけると、高すぎる壁に
行き詰まりを感じていた26歳の若者は
年俸5000万円で契約、
海を渡ってきたのでした。

球団組織では無い本社の海外事業部が
獲得するという謎の経緯で来日した助っ人は、
身長175センチ、体重108キロの
豆タンクのような体型から
5年前に引退したドカベン香川の再来だと
メディアの取材が殺到したのです。

前年の惨敗から巻き返すべく
大型トレードを敢行した根本ダイエーは
西武から秋山と渡辺、阪神から松永らを獲得し、
ドラフトでは小久保を指名、
さらにもう一人の助っ人として
ケビン・ライマーも入団させて
準備万端整えた開幕10日前になり、
足首をひねって出場すら危ぶまれた巨体に
チームは減量指令を下しました。

「日本は瓶ならアサヒ・スーパードライ、
缶ならサッポロドラフトが最高だ」と
1日1ケース飲むほど
無類の酒好きだった背番号39は
「体重を落とすとパワーも落ちるから」
と最初は渋っていたものの、
大好きなビールを断ち、
自宅から福岡ドームまで自転車通勤するなど
ダイエットに励んだ結果、開幕直前には
100キロまで体重を落とすことに
成功します。

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