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バンス・ローという男

割引あり

1956年、アメリカ合衆国アイダホ州に
生まれた本名バンス・アーロン・ローは
サイ・ヤング賞投手として引退後、
西武ライオンズのコーチに就任し
松沼にカーブを伝授した名指導者
バーノン・ローの子供として生まれました。

ブリガムヤング大学を卒業した1978年、
MLBドラフト39巡目で
ピッツバーグ・パイレーツに入団、
3Aポートランド・ビーバーズで
汗を流していた1980年、メジャー昇格を
果たします。

しかし目立った成績は残せなかった事から
シカゴ・ホワイトソックスに移籍すると
才能が開花、サードのレギュラーにして
ナショナル・リーグの選手会長も務めるほどの
主力選手となりました。

親子2代でオールスター出場を果たしたのち、
モントリオール・エクスポズや
シカゴ・カブスと渡り歩いていた1989年のオフ、
若返りを図るチーム事情から解雇された
バンス・ローに思いもよらない話が
舞い込んできたのです。

エクスポズのコーチを務めていた
元中日の助っ人ケン・モッカは
8年連続100試合以上に出場していた
バリバリのメジャーリーガーが所属先を
探しているとの情報を入手すると
古巣、中日ドラゴンズに紹介しました。

その打撃と高い守備力を見た星野監督は
「アベレージヒッターだけど
日本なら本塁打も狙えるし
落合、ディステファーノと
クリーンナップを組める選手だ」と気に入り
年俸1億5000万円の2年契約を提示、
身長188センチ、体重86キロの助っ人は
海を渡ってきたのです。

名前のローが「低い」イメージで良くないと
姓名をつけて、フルネームで登録された
バンスローとクリーンアップを組む事になった
落合は「3割、25本塁打は行ける」と高く評価、
来日前年もMLBで130試合に出場していた
背番号2への
期待は高まっていきました。

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