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ランディ・バースという男

割引あり

1954年、オクラホマ州で生まれたバースは、
ロートン高校を卒業後、1972年、ドラフト7巡目で
ミネソタ・ツインズに入団します。

マイナーリーグの5年間でホームラン100本を打つ活躍でしたが
幼少期に足を複雑骨折した影響から全力疾走ができず
また守備の評価も芳しくなかった事から、なかなか
メジャー昇格の機会に恵まれませんでした。

1977年、ついにメジャー初昇格を果たし、
ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男と言われた
長打力が期待されましたが、スピードボールを苦手とした事から
出場機会はほとんどなくレギュラー獲得には至りません。

1978年にカンザスシティ・ロイヤルズ、翌年は
モントリオール・エクスポズに移籍して
ウォーレン・クロマティと
チームメイトになりますが、1年ですぐにサンディエゴ・パドレス、
さらにテキサス・レンジャーズと転々とする日々、
メジャー通算9本塁打とその実力は開花しませんでしたが
ここからとてつもない未来が待ち受けていたのです。

1982年のオフ、ハワイのMLBウィンターミーティングに参加していた
阪神、ヤクルト、阪急の3球団はバースのバッティングに魅力を感じて
交渉を開始、代理人の力も働き、ヤクルトと話がまとまって契約寸前
でしたが一塁しか守れない守備に監督が難色を示して獲得を白紙に戻すと
阪神と阪急の一騎打ちに。
しかし阪急がブーマーに乗り換えて手を引いた事から阪神入団が
決まりました。

名前の発音は「バス」でしたが、打たなければメディアに
阪神バス急ブレーキと書き立てられ、打ったら打ったで
阪神バス大爆発など面白おかしく取り上げられる事を危惧して
登録名をバースに変更した翌1983年、

海を渡ってきた助っ人はオープン戦でいきなり
デッドボールを受けて左手首を骨折、前途多難なスタートと
なりましたが、4月16日の開幕5戦目、ようやく一軍に合流すると
代打として日本初打席を迎え、伝説の幕が開けました。

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