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【フェルナンド・セギノール】ヤンキース時代の恩師トレイ・ヒルマンの助言でスイッチヒッターに転身してメジャー昇格 日本でも本塁打王になる活躍を見せた助っ人は何度も立ち上がり4度来日を果たしたパナマの大砲

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はフェルナンド・セギノールを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=3yNeKCxwRTU&t=24s

1975年、パナマで生まれたセギノールは
のちに日本で一緒に戦う
シャーマン・オバンドーから野球を
教えてもらうと高校を卒業した1993年、
ヤンキース3Aに入団してプロの世界に飛び込みます。

1990年から11年間、ヤンキースのマイナーリーグで
監督をしていたトレイ・ヒルマンから
スイッチヒッター転身を進言され、
モントリオール・エクスポズに移籍して迎えた1998年、
メジャー初昇格を果たすと
4年間で172試合に出場し
通算打率2割5分1厘、17本塁打の成績を残しました。

すると2001年のシーズンオフ、
大崩れせずコンスタントな成績を残す
両打ちの中距離打者いう触れ込みで
オリックスに入団が決まり
身長193センチ、体重90キロの助っ人は海を渡ってきたのです。

NPB1年目の2002年5月、日本プロ野球史上初の
2試合連続左右両打席からの本塁打を放つと
7月26日にもシーズン3度目の左右両打席本塁打
を達成し、最終的に23発を放ちましたが
当たれば飛ぶがめったに当たらないという
粗っぽさから
打率は2割ギリギリの低空飛行を続けたため
1年限りで戦力外通告を受けました。

翌年はアメリカに戻り、ヤンキース傘下の
3Aコロンバスでプレーすると
打率3割4分1厘、28本塁打、87打点の成績を残して
首位打者と本塁打王の2冠を獲得したほか、
ヤンキースの一員としてメジャー再昇格も果たし
松井秀喜とチームメイトにもなりましたが
わずか5試合の出場で再びマイナーに降格した
2003年シーズンオフ、チャンスがやってきます。

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