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ドン・マッティングリーという男

割引あり

1961年、アメリカ合衆国インディアナ州に生まれた
ドン・マッティングリーは
身長182センチ、体重79キロと小柄な体格ながら
抜群の運動神経で
高校時代から野球のほか、アメリカンフットボールや
バスケットボールでも才能を発揮していた1979年、
MLBドラフト19巡目で
ニューヨーク・ヤンキースから指名を
受け入団しました。

マイナーリーグを順調に駆け上がってきた1982年、
3Aコロンバスで打率3割1分5厘を記録した事から
9月8日、メジャーデビューを果たすと
打率2割8分3厘、4本塁打、32打点の成績を
残します。

翌年にはメジャー初本塁打を記録、
翌々年は開幕からメジャーに定着すると
前半戦で打率3割3分の活躍を見せて
オールスターゲームに出場、折り返した
後半戦でも更に数字を伸ばして
最終的に
打率3割4分3厘、23本塁打、110打点の
好成績で首位打者に輝きました。

ここから5年連続でオールスターに選ばれるなど、
スーパースターへの階段をステップアップしていくと
1985年には最多打点にMVPのほか、シルバースラッガー賞と
ゴールドグラブ賞を受賞する無双状態となったのです。

その後も打率3割、30本塁打、100打点以上は
当たり前のバッターとして迎えた1987年7月、
史上2人目となる8試合連続本塁打の
メジャータイ記録に、1シーズン6本の
満塁ホームランというメジャー記録も
樹立しました。

その類まれなるリーダーシップで
1991年からニューヨーク・ヤンキースの
10代目キャプテンを任されると、
翌1992年9月16日のシカゴ・ホワイトソックス戦で
ティム・レインズ選手の打ったボールが
一塁を守るマッティングリーの近くに
飛んでいき、ボールを追って観客席に近づいてきた
背番号23は
ファールボールの行方に
目を奪われていた最前列の少年のポップコーンに
スッと手を伸ばすと
満足そうに口へ運んで定位置に戻ったのです。

この愛嬌のある一連の動きに実況席は爆笑し、
気づいたらポップコーンを盗まれていた少年は
不満そうに首をひねりました。

1994年も打率3割4厘に出塁率3割9分7厘を記録して
チームを牽引、首位に立っていましたが
MLBがストライキに突入した事で
そのままシーズンが打ち切りになると
ストライキが明けた翌1995年も
ポストシーズンで打率4割1分7厘と
ひとり気を吐くもチームは敗退、
背中の故障を理由にこの歳限りで
現役を引退したのです。

プロ入りから34才で引退するまで
ヤンキース一筋でプレーした
貴重なフランチャイズ・プレイヤーの
人気は高く、背番号23は
ヤンキースの永久欠番となりましたが
歴代のヤンキース永久欠番選手の中で唯一、
ワールドシリーズ出場を果たす事が
出来ませんでした。

引退後の2004年、ヤンキースの打撃コーチに就任して
現場復帰を果たすと
2007年シーズンからは相棒トーリ監督の右腕として
ヘッドコーチに就任、次の監督最有力候補と
目されていましたが
トーリ監督の辞任を受けて自身もチームを去ったのです。

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