オンライン硬筆を始めて3年が経ちました~振り返り~

2020年5月のコロナ真っただ中に出会ったオンライン硬筆。
オンライン硬筆をゼロから編み出した書道家さんにゼロから教えていただき、巣立って3年。無我夢中で教えていると、おどろくべき早さで時が過ぎていきました。このブログではその3年間を振り返ります。

私、開業したんよなぁ? 閑古鳥が泣き叫ぶ最初の半年間

オンライン硬筆の先生の旗を掲げ、大海原にこぎだした小さな私のボート。先生なんて偉そうな肩書がついているけど、生徒がいなければそこらへんいいるただのおばちゃん。誰か生徒はいませんかぁ!海外できれいな文字を書けるようになりたい子どもさんはいませんかぁ?

返事がない

そりゃそうよなぁ、オンラインで硬筆が習えるなんて誰が信じるだろうか。こんな得体のしれない、実績もないオンライン硬筆。インスタグラムを使ってあれこれ投稿してみるけど、反応ゼロ。これ、本当に誰かが見てくれているんだろうか。何の手ごたえもないまま時だけが通り過ぎていく。コールタールの夜の海をもがいてもがいて前に進もうとするけど、そっちが前かどうかも分からない。例えるならばそんな感じ。もしかして後ろに行ってない?座礁してない?

10年間会社員で、敷かれたレールを走ってりゃいい人生だった私に、初めて降りかかった個人事業主の関門でした。

でも何もしないわけにはいかない。最初の数か月は近所ママ友の日本人ハーフの子どもさんにお願いして生徒さん役になってもらい、教える経験を積んでいきました。ちなみにそんな駆け出しの私に、ママ友さんはお月謝を払ってくれました。初めてもらったお月謝、涙が出るほど恐縮でした。

ある日、インスタグラムに一通のメールが来た

週1回30分のお稽古を終えたら、その週の仕事は終わり。そんな週休6日の情けないフリーランス生活をしていたある日、インスタグラムに一通のダイレクトメールが来ました。

「転勤族です。転勤しても子どもが続けられる習い事を探しています」

そこで初めて気が付いた、そうか、転勤族の人は数年おきに生活が変わるから習い事を探すのも大変なんだなぁ。気が付けば季節は夏。夏休みプランを企画してインスタグラムにアップしたばかりのときでした。生徒さんがいない状態に慣れていたので、問い合わせが来たことにただただ驚き、ぼうぜんとしてしまいました。それから日本の離島やハンガリーからお問合せをいただき、私は4名の生徒さんを預かる身になっていました。

人生ルポ取材の依頼をいただくことで、オンライン硬筆の教室方針が浮かんできた

ほそぼそとインスタグラムやTwitterで発信していくことで、私の生徒さんは10名ほどになっていました。子育てと家事しかすることがなかった私の人生に、生徒のことを想う時間が少しずつ入ってきました。

「今日は、あの子、『め』が上手に書けたなぁ」
「鬼滅の刃の技の名前、全部書ききってしまったなぁ」

子育ての合間に、次のお題や指導方法を考える幸せな時間をかみしめていました。

そんなある日、ルポライターを目指すかたから「自分の好きなことで活躍している海外在住の日本人の人生を取材したい」と依頼をいただきました。世の中には私なんかよりも百万倍輝いている海外在住日本人は山ほどいる。私に光を当てたところで鈍く光るだけ。申し訳ない気持ちだったけど、こんな人生でよかったらどうぞという気持ちで洗いざらいの黒歴史を語りました。


私はブラック企業出身

いじめられる毎日でした


私が出版社で働いていたときのことを少し書きます。
雇っていただいた会社ですし、育てていただいたのでブラックだとは言いたくないのですが、時代が時代だったゆえに起こった、忘れられない記憶が鮮明に残っています。
雑誌の角で手の甲をたたかれる、原稿に「読めない、死ね」と書かれる、机のうえにいやがらせのようにゴミ箱や切れた電球を置かれる。これは氷山の一角です。
次々と辞めていく、突然消える社員たち。わずか1年半で6人いた同僚は私のみになりました。逃げ出せばいいのに。それでもなぜか私には「ここで辞めたら負け犬だ」という気持ちがあり、首をしめられている感覚を味わいながら、もう一歩で落ちそうなところでふんばっていました。

どうしてそこまでして続けるん?
夜中の2時に戻ってきた私にお茶を入れながら、私の帰りを待っていた母に何度も聞かれました。

分からない。でもまだ何も得ていないから。

本来、原稿を書くことも写真を撮ることも広告営業をすることも楽しくできるはず。なぜこんなに苦しみながらモノ作りをしているんだろう。でも、何も分からないままただつらい思いをするだけでそのまま去ったら、私のこの経験は何にもならない。何かに気づくまで私は続ける。

そうは言っても毎日疲弊して帰宅するだけで、思考は停止状態。どういう雑誌が作りたいのか、本当は何がしたいのか。それをじっくり考える余裕は1分たりとも私にはなかったのです。

楽しいだけ?

それだけでじゅうぶんじゃないか

10年経ってようやく退職し、縁あってバルセロナでオンライン硬筆の先生になりました。ルポ取材中、あれこれ質問を受け、どんな教室にしようかと考えていたときに、思い出したのが6歳のころから通っていた書道教室とそれまでいじめられた出版社でした。
書いた字をほめられてうれしかった貴仙書道教室。仲間と切磋琢磨しながらただ自分の文字を見つめ続けたあの感覚。毎週土曜日のお稽古が何よりも幸せで熱中できるものでした。
一方で、喉元に刃をつきつけられているような張り詰めた感覚で仕事をしていた出版社時代。何をしても怒られて、自分は無能であると叩きつけられた毎日。学んだことはとても多いし、恥ずかしい思いを何度もさせられることで得たものは大きいです。

でも、その出版社から離れた今、私の考えかたは違う。当時はそんな言葉すら怖くていえませんでしたが、今ならはっきり分かります。

そこまでして人は立派でなければだめでしょうか。分からないことを聞くことはそんなにダメでしょうか。他人にも自分にも厳しいことこそが成功の秘訣でしょうか。私はもう二度とののしられるような人生を生きたくはないからこそ、子どもにもそんな思いを味わってもらいたくないと思いました。

私は甘いかもしれません。ほかの教室にいけばもっと字が上達するかもしれません。でも、せめて「ここは楽しい」と思ってもらえる教室にしたいのです。ブラック企業でののしられてきた人間だからできる、痛みや苦しみとは真逆のあたたかさをもった教室を目指したいのです。逆にそれ以外、子どもの習い事に何が必要ですかね?

そんな思いをつづっていただいた文章が
ヤフー記事のトップに掲載

私の思いを細部までくみ取っていただいたルポが、なんとヤフーのトップニュースに写真付きで載りました。「里美先生がヤフーに載っていますよ!」と生徒の保護者さんからLINEが来て、私も目を疑いました。
それから驚くほどたくさんのお問い合わせをいただきました。一年半たった今でも「あのとき記事を読んだ」と覚えてくださり、ご入会いただくことがあるほど。

先日、そのライターさんと「なぜあんなにあの記事がヒットしたのか」と話をすると、こんなふうに教えてくれました。

《ブラックの苦しみを知って、楽しんで生きたいって想いがさとみさんの話から滲み出てたように思います。なので、読んだ人もそれに気づいてこういう方に教えて欲しいって思うのだろうなあ》

そう言っていただけました。

これからも変わらないモットー
楽しい硬筆教室

文字は自分自身です。
つまり文字を否定することはその子自身を否定することになります。
そういう気持ちで私は添削をします。
「ここはめっちゃええ。ほなけんもっとよくするためにここはこうしてね」
必ず「より上手くするため」として、そういう指摘をします。
子どもの気質に合わせて、ずばり直球でアドバイスをすることもありますし、繊細な子には「こうしたらめっちゃようなると思うんやけど、どうする?やってみる?」という言い方をすることもあります。否定に極端に弱い子っています。でもその性格を何も私が直さなくてもいいじゃないですか。ほかにいいところがたくさんあるんですから。本当に直したほうがいい場面に直面したら、その子自身がちゃんと直すと思うのです。

上手に書けなくてもいい。おしゃべりだけのために来てもいい。「書くことは楽しいんだよ」と子どもの記憶に残ればそれでいいのです。

子どもを幸せにする教室をこれからも作っていきたいと改めて思う設立4年目でした。
長文を読んでくださり、ありがとうございました。

オンライン硬筆ワールド
田中 里美





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