スタジアムデビュー(サッカー編②)

中学・高校とバレー部だった。自分らの世代はサッカー部は不良の塊みたいなところがあって実際、サッカー部の部室はたばこ臭かった。チームメイトでバレーでなくやたらとサッカーの話をするのがいたことは覚えているくらい。そんなサッカーに興味を抱いてなかった私がはまったのはやはり、Jリーグの開幕である。

記憶が曖昧だが確かW杯メキシコ大会の予選で木村和司のフリーキックを見て『こんなすごい選手がいるんだ』って記憶に刷り込まれたのか彼が所属していた日産FCの記憶がおぼろげにある。Jリーグが発足して開幕までプロモーションが続くが九州にはクラブチームがなかったこともあり遠くの横浜マリノスがお気に入りのチームとなる。(横浜は桑田佳祐の歌にもよく出てきて学生の時からあこがれの街だった事もある)

そんなで生活圏で試合があることもほぼなかったし、仕事上開催曜日に休みを取ることもできずスタジアムでの観戦に行くことはなかった。

1993年のドーハの悲劇も深夜、電波状態の悪いTVで見てた。94年のアメリカ大会は沖縄の深夜食堂のTVで毎日見てた。のちに射殺されたコロンビアのエスコバルのオウンゴール、ロベルト・バッジオ(イタリア)のPK失敗で決まった優勝。サッカーをスタジアムで見たい気持ちは高まったがなかなか叶うことはなかった。

それから4年1998年フランスW杯に日本は初出場を遂げる。W杯のスポンサーにもなっている世界的某ハンバーガー会社に勤めていたので当時スポンサードチケットが日本に割り当てがありそれを利用してフランスまで行ってきた。チケット込みの特別ツアーに参加したので格安で渡仏できた。

イベリア航空(スペイン)がロシア経由の直行便を飛ばしていてロシアで給油のため空港に数時間降り立つことがあった。当時のロシアは経済危機でインフレ状態空港のエアコンはついてなく蒸し暑かった。ビックマックなんか円換算で700円越え。初めて世界の現状を目の当たりにした。

泊りはバルセロナ郊外、試合前日バルセロナ観光のおまけ付でカンプノウスタジアムの見学があった。当日、スペインvsナイジェリアが始まるころには町中から人の姿が消えた。「これが欧州サッカー文化なんだ」って感動した。

試合当日、AM3:00にフランス・トゥールーズに向け出発。数回の休憩をはさみバスは会場に到着。駐車場からシャトルバスにて会場へバスを降りたら徒歩で会場まで向かう。道筋、大道芸などでお祭り状態。W杯の雰囲気を楽しみながら「これが4年後日本に来るんだ」と思いつつ会場入り。現在のW杯基準程スタジアムは大きくない。試合前、ULTRAS NIPPONだと思うけどブルーのごみ袋が配られそれを膨らまして応援。強豪アルゼンチンとの対戦。微かな希望もかなわず敗戦。ゴミ拾いしてスタジアムを後に・・・

これが私のスタジアムデビューでした。その後、スタジアムへ足を運ぶ回数は格段と増えた。

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