ダマされ上等!「老いとボケ」の演劇の衝撃 劇団OiBokkeShi公演「ポータブルトイレットシアター」@神奈川県民共済みらいホール

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目の覚めるような面白いお芝居でした。気持ち良くダマされました。そしてズシンとこたえました。この舞台にはディスコミニュケーション=伝わらない事は苦しいだけじゃない、楽しめもするという福音が鳴っていたのです。

ボケるって素敵なのかも…

https://kyosei-kyoso.jp/events/oibokkeshi/?fbclid=IwAR3EMoD0SfBgxkAYj4kWDuFL5NNVonU1XHXRwEDoUKvLXuufdjUq8_i01Jo

仕組まれたグダグダ

会場は横浜桜木町駅すぐの県民共済みらいホール。事前に、主役がえらくお爺ちゃんだという事だけは知っていました。(93歳でした)劇団の名前は「OiBokkeShi=おいぼけっし」。幕もなく、暗転もしない舞台に作家の菅原直樹さんがまず登場して、前説を始める。

「劇団の名前の由来は、『老い』と『ボケ』と『死』なんです」

そしてこの夜の演目の主役、岡田忠男さんこと、岡ジイとの出会いのきっかけを話し始める。岡ジイはある日、菅原さんの「介護と演劇のワークショップ」にふらりとやってきた。足元はふらついて、耳も遠いしワークは無理だろ、見学なさればと勧めても「いや僕もやる」と言い張る。

仕方ないのでやらせてみたら、目を見張るような演技のキレに、菅原さんはビックリ。聞けば岡ジイは、若い頃、今村昌平の映画のエキストラ出演の経験もある強者だったと。岡ジイは、認知症になった妻の介護生活の中で悩み、藁をも掴む思いで、このワークショップを見つけて来たのだという。

その時、岡ジイ88歳。この出会い以来、彼をメインに据えた芝居を作り続けてきたと、菅原さんは語る。

前説終わって呼び出され、岡ジイようやく登場。よろよろと杖をついて。そこからの岡ジイの話が長い。75年前に初めて見た横浜の情景、当時の思い出と観客へのイジリが延々と続く。

「そのころヨコハーマにはビルなんてなかった。路面電車が走ってたのよ」

菅原さんは何度も話をさえぎって「早くお芝居しましょう」と促すが、岡ジイは一切お構いなし。独演会の内に30分が過ぎてしまう。観客は噛み合わないやりとりに笑いながら、苛立ちの空気が流れ始める。

突然、岡ジイは、客と一緒に芝居をやるのだと駄々をこねだす。岡ジイが指差して観客の中から選んだ一人の女性は「台湾からこの公演を観に来た。役者の経験もある」と答えて、なんと舞台に上がってしまう。

菅原さんは、岡ジイをなだめるのにヘトヘトの風で「台本も何もありませんから。もうこの舞台を岡田さんの家だと思って、ただ岡田さんのいつもの日常を演じて下さい」と念を押して、やっと芝居が始まる。

この時点での思いは「もうグダグダだな。主役は本当にボケてるぞ。今夜は演劇とは言えないシロモノを見せられるのだろうな」という軽いガッカリ感でした。それからの90分。このグダグダの全てが、周到な前振りの仕掛けであった事が明かされていったのです。

「日常」を演じるとは?

舞台は、岡ジイが目の前にいる若い女を、93歳で認知症の自分の妻として世話をするという設定になる。

舞台に上がった女性は25歳の寿司屋のバイトであり、彼氏もいると語る。その彼氏の名前は舞台上での岡ジイの役名となぜか同じ。そして岡ジイの現実の奥さんも、認知症のために自分が20代であると思い込んでいる。菅原さんは舞台に残って芝居の段取りを指示していく。食事介護でカレーを作ってあげる岡ジイ。若い女はカレーなんか食べたくないと拒絶する。

岡ジイは怒り、本当の奥さんを介護する生活の中での辛い、リアルなエピソードを、観客に向けて直接語り出す。舞台の「妻」との噛み合わないトンチンカンなやり取りと、切実にリアルな話がゴチャ混ぜに進む。

菅原さんは、混乱を収拾しようとして岡ジイに諭す。

「認知症の人には見当識障害ってものがあるんです。今がいつで、ここがどこで、目の前にいる人が誰なのか、分からなくなる。彼女が見ている世界を否定したら怒るんです。だから演じる事で彼女の世界を肯定してあげたらいい。そうすればきっと、お互いに気持ちよくなれるんです」

なるほど、と気が付く。それこそ、岡ジイが菅原さんのワークショップで得れた知恵なんじゃないのか?

目の前にいる人間の筋の通らない言動に反発すれば、怒りと対立が生まる。でも反発しないで「演じる事で」全てを受け止めてしまえば、すごく楽しく、楽になる。日々の生活の中で演じるという知恵を使えばいい。

岡ジイは、かつてそれができずに苦しんでいたと、この動画で知りました。https://www.youtube.com/watch?v=l0UsskJ07GQ

岡ジイは妻の混乱した言動に疲れ果ていた。妻は、今いる場所も、岡ジイが誰なのかも分からない。でも岡ジイは、妻の幻の国の住民を「演じる事」で救われた。

日常を「演じる事」で救われた岡ジイが、今度は舞台に自分の日常を持ち込む。相手の話を聞かず、勝手気ままに自分の話をしだす。どこから演技で、どこまでが現実なのか、まるで分からなくなる。

このジイさん本当にボケてるのか?

岡ジイの突発的な「問題行動」に周りの役者さんたちが、本気で振り回されているのが見て取れる。そんな「困った」振舞いから、次から次へと「今、生まれたばかりの」「危なっかしくてフレッシュな」状況が現れる。それはまるでジャズ。真の即興のスリルにぞくぞくする瞬間がたくさんやってきました。

「よく分からない」を受け止め合う

舞台はいよいよ、現実と虚構の区別が付かなくなっていく。

菅原さんは、岡ジイに地方劇団のオーディションを受けてみないかと勧める。演目は「ロミオとジュリエット」。「えー。僕、90越えたジイさんだよ。無理だよ」と拒絶するが、押し切られる。

そして迎えたオーディション。舞台には監督役と助手が登場する。岡ジイは監督に「今まで演技をしていて一番印象的だったエピソードは何か」と尋ねられる。

「雪の上に倒れて放っておかれた時。長い、長い時間だった。オッケーの声が聞けて、そりゃあ嬉しかった」

雪が見える。岡ジイのエキストラ経験の中での本当の話だなと、すぐ分かる。監督は「あなたが尊敬する役者は誰ですか?」と聞く。「仲代達矢」と岡ジイは答える。

「はい、あなたは今から仲代達矢!」と助手がカチンコを鳴らす。途端に岡ジイは仲代達矢そのものになる。背筋が伸び、監督に上から目線で語りかける。え、なに?この爺さん、まるでボケてないぞ、切れ者だぞ。ようやく本格的にダマされていたのが分かる。

そして「ロミオとジュリエット」の台本読み合わせの稽古に移る。有名なバルコニーのシーンです。若い女は、達者にジュリエットの台詞を読み上げる。なんだ、この若い女も仕込みだったのか。岡ジイは対応できない。手にした台本の字が本当に読めないのだ。なので即興で返していく。自分の事を「ロミオット」と呼び、ジュリエットを「オメー」と岡山弁で呼ぶ。

岡ジイは、妻に向かって愛を告げているのか、目の前の若い女のジュリエットに対面しているのか、93歳なんだか、25歳なんだか、もう全部がなんだかよく分からない。腹の底からの爆笑の波がこみ上げてくる。笑いながらズッシリと重い手応えも伝わって来ました。

見終わって…母のボケと僕

老いてボケて、気持ちが通わなくなるから辛いのか。いや若くても誰だって思い込みや認識のズレはあるだろう。老いていないがために余計に苛立って苦しむのかも知れない。本当もない。演技もない。区別なんか無くていい。まったく噛み合わない話のやりとりって結構、素敵だな、と。

岡ジイが「ジュリエットであり、寿司屋のバイトでもある若い女」を奥さんだと「間違えて」手をつないで夕焼けの中を帰るラストシーンは、ジーンと胸に沁みました。「僕はロミオだ!」と歌うように声に出して、暮れなずむ空に手を伸ばす岡ジイは美しかった。

…僕は、2年前に亡くなった母の認知症の日々に寄り添う事は出来ませんでした。母から次々と理不尽な、筋の通らない言葉を投げ掛けられて、もどかしく、腹が立ちました。もし母と一緒になって、母が見ていた世界の中の人を演じていたらどうだったろう。母の寂しさは和らいだろうか。仲良く、のんびり笑いあえる時間はあったろうか..

急げ!

岡ジイこと、岡田忠男さんは一昨年脳梗塞も患われたそう。93歳のご高齢にして、したたかな演技で観客を煙に巻く凄腕の芸達者。強烈に心に残る舞台です。でも、あとどのくらい見聞できるか覚束ない。次回あれば是非お勧めします。同じ演目でも、きっとまるで違う舞台となるでしょう。

そして、ボケるのが楽しみになれるかも…


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