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No.3 RAMMSTEIN

BALENCIAGA、Demna Gvasalia、VETEMENTS

これらの共通点は言わずもがな、多少なりと服に興味があれは必ずしも耳にするはずの語群だ
私のRAMMSTEINとの出会いは軽く不純と言っても差し支えない出会い方だった

“超 ”過激なライブ演出
インダストリアルなメタルサウンド

1995年デビュー。これまでに全世界で2000万枚以上のセールス、3億回近くのストリーミング再生を記録している、間違えなくドイツ最大級のロックバンドと言える存在だ。
メンバーは
パウル・ランダース (PAUL LANDERS)(G)
ティル・リンデマン (TILL LINDEMANN)(Vo)
リヒャルト・Z・クルスペ (RICHARD Z. KRUSPE)(G)
フラケ・ロレンツ (FLAKE LORENZ)(Key)
オリヴァー・リーデル (OLIVER RIEDEL)(B)
クリストフ・シュナイダー (CHRISTOPH SCHNEIDER)(Ds)
の6名(ちなみに上記はトップ画の左から順番に挙げてます)
楽曲は力強いインダストリアルなメタルサウンドが特徴で。ほとんどの楽曲がドイツ語で歌われている。ここでひとつ知っておいて欲しいことなのだが本来ドイツ語で歌うことは成功するためには悪手とされている。が、このバンドはドイツ国内にとどまらず世界中で大ヒットし、その地位を確立した今現在も変わらずドイツ語で歌い続けている。
そのほかショッキングなビデオ、オカルト的イメージ、火炎放射機を駆使した派手で過激なライブパフォーマンスもまたRAMMSTEINが話題を呼んだ理由のひとつだ。

VETEMENTS 17aw

17AW全盛期のVETEMENTSからRAMMSTEINにオマージュが捧げられたコレクションが発売された。デザイナーのデムナが同バンドのファンだからということで生まれたそのコレクションは大きな話題をよび今では名作と名高く中古市場では販売価格と同程度もしくはそれ以上で取り引きされている。
ファッションについて少しだけ疎いという諸君らのために一様鬼才デムナヴァザリアという男について説明しておこう。生まれは1981年、ファッション業界のオックスフォードのアントワープ王立芸術アカデミーを首席で卒業(過去の卒業生としてはアン、ドリス、マルジェラなど)その後ルイヴィトン、マルジェラを経て14年、自身のブランドVETEMENTSを立ち上げた。また15年にはBALENCIAGAのデザイナーに就任している。つまり彼は紛れもなくファッションの申し子なのだ。

VETEMENTSのRAMMSTEINtシャツを着たDemna Gvasalia

私が服にハマってからそんなアイテムの存在を知るまでは大した時間はかからなかった。それが私とRAMMSTEINとの初めての出会いだ。後追いなのでもちろん中古市場で手に入れるしかない、vetementsはその人気さから大量の偽物が出回ったいるため高いリスクがまとわりつく。散々ネットの海をクロールした末私は遂に妥当した 。ドイツのRAMMSTEIN公式オンラインショップでほとんど触れたことの無いドイツ語と2日ほど格闘しやっとの思いで購入した。

RAMMSTEIN入門

入手するまである程度執着したのだから同然楽曲も聴きたくなる(てか聴かずに着ているなんて正気の沙汰ではない)楽曲を聴いてまず1番にハマったのが『ICH TU DIR WEH』ドイツ語のかっこよさにやられフラケの変態性にやられティルの👇この顔にやられた

好きな曲ができてしまうともう早い。それから1週間ほどRAMMSTEINしか聴いていないなんて状態が続く。Spotifyで配信されているアルバムを聴き漁りyoutubeで公開されているMVを見漁り気づけばいつしか『DEUTSCHLAND』に落ち着いていた
「ドイツよ俺の愛をお前に与えることは出来ない」
祖国ドイツに対するアンビバレントな感情の歌詞と力強くも哀愁香るサウンド、そして映画のようなMV、どれをとっても最高の仕上がりだ。



曲と出会ったから聴き始めた、のでは無くtシャツが着たかったから、憧れのデムナがファンだから。
この初まり方を先に不純などと述べてしまったがここであえて訂正させて欲しい、正直出会い方がどうだったかなどと言うことはなんら問題では無い、むしろあらゆる可能性を無下にする考え方だ。今日新しい音楽との出会いのきっかけはそこら中に存在している、少しでもマンネリを感じ、新しい音楽を求めるのなら人通りの多い場所に出て石を投げて当たったものに好きな曲を教えて貰えばいい。
人は常に新しい音楽を開拓するその貪欲な探究心忘れてはいけないのだ。

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