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日刊 電子もの書き屋オニワ

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53歳の会社員のおじさんが書いた記事やお話などをまとめたマガジンです。 毎日コツコツ掲載していきます。
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記事一覧

53MM (その29)     53歳のおじさんが「もの書き」になる物語  シーズン2

2022年9月 おじさん、派遣社員になる 時が経ち、2022年9月。 53歳のおじさんは悩んでいた。 「お金がない」「仕事がない」「老後の資金がない」 ないない尽くしだった。 そこでおじさんは考えた。 「そうだ、働こう!」 働くといっても、いきなり53歳のおじさんを社員で雇う会社はないだろうし、長い間働いていないのだから、仕事に慣れるのにも時間がかかるだろう。 スーパーやコンビニに置いてある、無料の求人誌を手に取った。 『シティワーク』だった。そこには地元の求人情報が掲載

53MM (その26)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 休職から復職へ休職したおじさんは、復職するために、「リワーク」プログラムに参加した。東京にはリワークプログラムを実施している法人がいくつもあり、申請手続きをすれば、安価でプログラムに参加することができた。 そこでは、新聞の社説やコラムの要約をしたり、病気に至った経緯をまとめたり、簡単な計算問題を解いたりした。 プログラムを受講してから3ヶ月後、復職することができた。しかし、数ヶ月後、再び休職となった。長い間の病気療養で体力が落ちていて、通勤だけでもエネルギーがな

53MM (その25)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

番外編 おじさんの趣味物語の中身が暗くなって来たので、番外編として、53歳の今の趣味について話す。 1.散歩 朝の散歩が趣味になりました。仕事が休みの日に、日の出や畑、川の鳥たちを眺めながら、30分近いている。 2.読書 調達方法は、3つある。 ①本屋で購入 ②ブックオフで購入 ③Amazonで購入 最近は、ブックオフで100円から200円の棚の中から、掘り出し物を探している。 どうなる、おじさん。(続きは次回。また、お会いしましょう。) 注釈)ブックオフは本の売

53MM (その23)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 休職おじさんは渋谷の職場に異動してからも上司や先輩、同僚に恵まれ充実した日々を送っていたが、半年もしないうちに上司が転勤され、他の部署から新しい上司がやってきた。 新しい上司とはソリが合わなかった。また、職場の同僚や同じ会社の先輩、後輩との飲み会が続き、ついにはダウンしてしまった。 病院に行ったところ、「うつ状態」と診断されてしまった。(続く) 注釈) ノンアイロンシャツを買いました。明日から楽しみです。 著者:オニワ晃秀(電子もの書き屋オニワ)

53MM (その22)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 クレーム対応渋谷に異動となったおじさんは、携帯ショップで対応に困って連絡があったお客様対応をしていた。具体的な内容については、ほとんど忘れてしまったが、ここで詳細は話せない。お客様に関する情報を他人に話してはならない、という研修を繰り返し受けていたからだ。なので、この話はここで終わりにする。(続く) (注釈) お雑煮の写真が好評だったので、表紙にしました。また、元旦が父の誕生日なので、終わりにケーキの写真を載せてみました。 著者:オニワ晃秀(電子もの書き屋オニワ)

53MM (その21)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 渋谷で働くシステム開発から運用の仕事に就き、気力、体力を失いつつあったおじさんは、2005年の夏に人事異動で転勤となった。次の職場は渋谷だった。 渋谷では、携帯電話の故障修理に関する業務の担当になった。アフターサービス部門だ。ただ、渋谷の職場では、自分が直接故障修理業務を行うのではなく、携帯ショップの故障修理担当をサポートする業務に変わった。裏方の仕事であった。 ふり返れば、アルバイトを始めた大学生の頃から、裏方の仕事が多かった。 ファミリーレストランでは、厨房

53MM (その20)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 開発の仕事から運用の仕事へ新サービスの運用に関する開発の仕事をすることになったおじさんだったが、その当時のことは今はあまり思い出せない。朝早くから終電まで会社にいたことしか覚えていない。当時はまだ30代だったので体力があり、なんとか続けられたが、今だったら倒れていたかもしれない。 システム開発が終わり、新サービスの運用が始まってからも大変だった。運用センター勤務となり、シフト勤務に入ったのだ。日勤業務に加え、月に5回程度夜勤があった。日勤は8:00から17:00、

53MM (その19)  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

特別編 おじさんと音楽年末なので、少し趣向を変えて、おじさんと音楽の話をする。 おじさんは、1969年、昭和44年生まれなので、子供の頃はテレビやラジオを通して、音楽を聴いていた。 テレビでは、木曜9時からの、TBSテレビ「ザ・ベストテン」が大好きで、今週は誰が1位になるのかワクワクしながら見ていた。久米宏さんや黒柳徹子さんの司会は有名だが、中継コーナーに登場した、追っかけマンの松宮一彦アナウンサーが好きで楽しみにしていた。 ラジオでは、日曜日の午後に放送していた、文化放

53MM その14  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 通信業界へ転職深夜の駅の清掃をしていたおじさんは、27歳の時に携帯電話会社の故障修理部門を担当する子会社に、契約社員として入社した。 最初の配属は東京都内の下町エリアにある支店だった。おじさんの仕事は、支店窓口の故障修理の受付をしたり、実際に故障した電話機を修理したり、メーカーへ修理依頼の手配したり、修理で使用する物品の在庫管理をした。 残業があったり、休日出勤したり、お客様からのクレームを受けることも時々あったが、先輩や同僚に恵まれ仕事は楽しかった。 仕事に対

53MM その13  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 深夜の仕事と、少しの仮眠と、駅前留学と20代だったおじさんは、深夜の駅の清掃をしていた。仕事が終わって、帰宅する時間は朝の6時。少し仮眠をとって、仕事に行くまでの間、何かできることはないかと考え、駅前にある英会話学校に通うことにした。 その学校は、当時のTVCMで有名になった、うさぎがキャラクターの学校ではなく、埼玉県に数校ある、地元の英会話学校だった。授業料も月謝制で良心的な金額だった。 最初にレベルチェックをして入るクラスを決めた。たしか初級クラスだったと思

53MM その10  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

53歳おじさんのプロフィール 社会人編  おじさんは、24歳の時に、埼玉県にある小さな包装機械メーカーに営業職として入社した。 その会社に入社した理由はとっても単純なものだった。それは、中国にある合弁会社に研修に行くことができるからであった。おじさんは「教育学部国際文化教育課程アジア研究専攻」という長い専攻に入学して、中国語を少しだけ勉強していた。小学生の頃から、「海外で働いてみたい」という気持ちを強く持っていた。 6ヶ月後、その機会はやってきた。5日間の中国研修に行くこと

53MM その9  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

53歳おじさんのプロフィール パート8:忘れられない後輩たち おじさんの大学生時代のエピソードをもう一つだけ話す。 おじさんは先生方や先輩方にも恵まれたが、後輩たちにも恵まれた。 今でも印象に残っている後輩たちを紹介する。 まずは、Yさん。帰国子女で、人懐っこいが寂しがりやさん。よく一緒に、僕の下宿でビールを飲んだ。次はOさん。真面目で一途な努力家。現在は語学の達人になっていて、多くの人に英語やハングルを教えている。 三人目は、リリー。もちろんニックネームだ。リリーはおじ

53MM その5 53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

53歳おじさんのプロフィール パート4:大学生時代 53歳のおじさんは、1浪して、東京の多摩地区にある国立大学に入学した。その大学に7年半在籍したが、卒業できずに中退した。卒業できなかった理由は、自分自身にある。不登校になったからだ。 大学1年生の頃から、不登校の兆候は現れていた。浪人時代はそこそこ勉強したが、大学に入ってからは、あまり勉強しなかった。車の免許を取り、家庭教師のアルバイトをしながら、埼玉の自宅から2時間かけて、大学に通っていた。しかし、途中から大学に通うの

53MM その18  53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

社会人編 開発担当者になる?人生で初めて転勤したおじさんは、異動になってすぐに、インターネットの基礎知識や、UNIXというOSの研修を受けることとなった。 世の中ではインターネットが広まりつつあり、携帯電話でも、  i-modeやez-webといった、インターネットサービスが広がり始めた時期だった。 当時のおじさんは、パソコンやインターネットには興味はあったものの、初心者レベルであった。 2週間の研修が終わった後、ほぼ同時期に同じ担当に配属された同僚と共に、親会社に出向く