卵は存在しない
どことなくラカンの一文のような題だが、別に難解でもなんでもないそのままの話である。しかもとりとめがない。
4月からずっと毎日買い出しに行っては「卵がない」という旨のツイートをし続けている。さすがに(頭が)おかしいと思われたのか、ついに「比喩ではないと思うがいつも卵がないので気になる」と聞かれた。そう、比喩ではなくてほんとうに店には卵がないのだ。最後に卵を食べたのは4月9日だった。
千歳市の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが確認され、過去最大規模の約120万羽が殺処分されたと言われている。とんでもない数だ。5月に入ってようやく鶏や卵の移動制限などが解かれた。感染経路はまだわかっていないらしい。鶏が先か卵が先かという古典的な問題があるが、今回は鶏がいなくなったので卵もなくなった。
養鶏場では鶏のひなを取り寄せているそうだが、すぐに卵を産むわけではないから秋頃まではかかると言うし、安定した品質での供給は来年になるかもしれないという話もあった。だからこの先も「卵がない」とツイートし続けなければならない。する。
私はひとり暮らしで自炊をしているだけだから毎日の献立が思いつかなくて回らない、料理が面倒なときに卵で楽をできないというくらいだが、家族の分を含めた食事や弁当を作っている人たちはもっと大変なことだろう。しかしどうにもならない。卵がないのだから。
さてそのような中、卵がないのを政治のせいにするなといった趣旨のツイートを目にした。文脈はわからなかったが、卵が政治の問題でないとしたら何が政治の問題だと言えるのだろうかと思いやけに記憶に残った。
鳥インフルエンザに関しては国、都道府県、市町村、生産者は防疫に務めるよう法で定められており、発生した場合も法にしたがって対応しなければならない。家畜伝染病予防費や経営再開資金といったものも交付・貸付がなされる。この一部だけをとっても政治的問題以外の何ものでもないのではないだろうか。
それに私はたまたま北海道二区に住んでいるので、吉川貴盛がまさに鶏卵生産会社からの収賄で有罪判決を受けた事件をすぐに思い出した。鶏卵生産業界は政治につながっているのだ。卵は政治的である。
卵の消失が東京を中心とした地域のできごとであればどうなっただろうかと思うことはある。しかし現実には北海道で起きており、きっとそれを知らない人の方が多いのだろう。それでもわれわれは卵がないまま暮らしていかなければならない。
とくに筋道も考えぬまま卵がないということを書いた。口直しとして、卵にまつわる話でいちばんおもしろかったデイヴィッド・ベニオフの『卵をめぐる祖父の戦争』をあげておく。ナイフ使いの少年が包囲下のレニングラードで卵を探しに行く小説だ。魅力的な女性スナイパーも登場する。これは書店にある。
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