雀魂レビュアーズ

相変わらず雀魂では雀士1から動けずもぞもぞとやっている。勝負の押し引きを誤って痛恨のダブロンを食らうなどし、ここ最近で四着の割合と放銃率が増えてしまった。楽しいが、みんなのようにうまくなるのは難しい。

ぱっとしない

それはさておき、雀魂の、あるいは雀魂に限らずオンライン麻雀の評価を見ていると、なかにはとても興味深いものがある。ただし、いわゆる「牌操作」うんぬんの説は感心しない。

たとえば「早い巡目に三面張で立直したのに、追っかけの嵌張に負けた」というのはまだいい。悔しい気持ちはわかる。だがそれを「麻雀を長いことやっているが雀魂だけこうしたことが頻繁に起こる」から「牌操作をされている」などと言い出すのはつまらない。もともと麻雀はそうした理不尽さをともなうゲームであり、だからこそ楽しいと思うからだ。

そもそも牌操作という言い方が気に入らない。状況に応じてすり替えや積み込みなどと呼ぶべきではないか。「毎回他家の配牌が良過ぎてどう考えても元禄をやっています、とんでもないイカサマ麻雀です」なら、手積みなのかよというおかしさがまだある。

もっとも牌操作説は「20K投下しても初当たりが3回で一度も最終決戦を突破できず、最後に響の激アツリーチが来たのに不発、さすがに台を移動したら後に座ったおっさんが即当てして12連チャン、確実に遠隔している悪質店です」というのに似て説得できるようなものではないし、したくもない。

こうした言説が多い中にあって、それでもこれはという文に出会うことがある。最近とても気に入ったのは「ダブ東が強すぎるからナーフしてほしい」というものだ。この発想はなかなか出てこない。驚いてしまった。

たしかにダブ東は強い。誰かが整理した字牌を鳴くだけで二翻である。だが、ある程度麻雀に慣れていると「親に二枚揃う前に処理してしまうか」などの思考をめぐらせることはあっても、ダブ東そのものを弱体化すればいいという考えにいたることはまずないのではないか。自分がいかに既存の枠組の中でしかものごとを考えていなかったかを思い知らされた。

さらにこれは、エルドリッチが強すぎるから制限してほしいとコナミに訴えるのとは違う。訴えるべき相手が見えないのである。ダブ東はYostarが独自に定めたものではないからだ。それにもかかわらずゲームのルール・制度に異を唱える姿には、無邪気さ豪胆さにくわえある種の爽快感さえある。

もっともこの文章を書いた人は「わかっている」節があった。しかし、それでも初心者の体を装って読む者の虚を突く作品に仕上げているのだから、おそらく頭の良い人物なのだろうと思う。また何か書いてほしいものだ。

もうひとつ気に入った評に「あがった人が一人勝ちするだけの運ゲー」というものがある。これも実にいい。ゲームの本質を的確にとらえている。

私は牌効率の勉強をしながら遊んでいる。次に何をツモってくるかは予測できないが、それでも聴牌にいたる可能性を少しでも高めるためである。それは早く聴牌して他家に先駆けて立直をしたいからだ。どうしてそのようなことをするかというと、たくさん和了するためだ。なぜたくさん和了したいかというと、あがらなければ一位をとれないし、強くなれないゲームだからである。だからこそ私に限らず多くの人が課題としていることだと思う。

それをおそらく雀魂で麻雀を始めたての人がわずか一文で表現しているのは、きっと優れた観察眼と理解力を持っているからではないだろうか。例えるならば、南郷から手ほどきを受けただけで対局に臨んだアカギである。もしこのまま遊び続ければとんでもなく強くなってしまうのではないか、という予感さえした。

念のために書き添えておくと、決してこれらの評や評者を笑いものにしようなどと思ってこの文章を綴ってはいない。そうではなく、本当に感心してしまったから話題にしているのである。世の中には頭の良い人、優れた才能を持つ人がいるのをこんな端々からでも知ることができるのは楽しいと思う。

オンライン麻雀のユーザーには、牌操作や特定のプレイヤーを優遇しているといった恨みごとではなく、もっとおもしろい、興味をひくすばらしい文章を投稿してほしいと願っている。そしてそれらを読みたい。

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