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ジグソーパズルのジレンマ



「わたしはアロマンティック・アセクシャルです。」と、わたしは、わたしと深いかかわりのある人に伝えたことがない。
話しの流れで「恋愛に興味ない」「結婚するつもりない」と言ったことはある。おもに初対面の人や、関わりの深くない知人に。一部の(セクシャルマイノリティに理解のありそうな)友人には、今年になって初めて「アセクシャル」という言葉を使って伝えることができた。けれど家族にはまだ何も伝えていない。


そもそも自分のことを話すほうじゃないし、どこに行って何をしたも聞かれたら(ぼかして)答えるくらいだった。これは私のパーソナリティの問題で、相手が誰だろうと生活や行動に干渉されることがひどく苦手だからだ。母親がやや過保護気味だったのは、今思えばわたしがあまりにも何も語らなかったからからじゃないかとも思う。けれど自分を開示する苦しさと両親からの心配を天秤にかけて、自分の心の安定を選び「心配かけそうなことは徹底して隠す」ようになった。

家族はとてもいい人たちなので、わたしが何かを隠してることも察したうえで、掘り下げないようにはしてくれている。わたしはそれに甘えて何も伝えず、一人の時間を全うしてめちゃくちゃ人生を楽しんでいるんだけど、ふとしたとき(正月や盆)に「なにか返さなければ」という家族としての義務感のようなものに囚われる。


彼らは素晴らしい家族だと思う。
それなのに、それだから、わたしだけがそこにいるのが間違いのように思える。
申し分ないだけの恩を与えられて、ただ自分だけがのうのうと生きている。彼らが望むものを何も返すことが出来ないまま。

きっとわたしがカミングアウトして、結婚しない、出産しない、一人で生きていくと伝えたとして、彼らは絶対にそれを否定しないしわたしを肯定する。それなら「わたしはこうだよ」と明かして、認められればいいはずなのに、なぜずっと伝えられないままなのか。ガッカリさせたくないから?


従妹が産んだ新生児の写真を見て祖母が言った「こんなの見ると、もうちょっと生きてみたいと思っちゃうね」という言葉。母が言った「女に生まれたんだったら経験として産むのは悪いことじゃないよ、子育ては全て協力するよ。」という言葉。
わたしがアセクシャルという単語も知らない頃、みんなが初めて恋人を家に連れてくるような年齢の頃、彼女らが発した言葉はきっと本音だったのだろう、と知ってしまった。もしわたしがカミングアウトしたら、あのときの言葉も願望も全てのみ込んでわたしを肯定するだろうと分かってしまった。
祖母も母も、確かに少し配慮の無い発言だとは思うけど、わたしだってこれだけ恩を受けてきた家族に何かを返したいとは思ってしまう。彼らの誇れるような人間になれればなと少しは思う。でもそれがわたしでは出来ない。
違うだれかが、この家の「娘」ならいいのに。その罪悪感がずっと自分の中で残っているから、家族がわたしの人生へ期待すればするほど、本当のことを伝えることが出来ないままでいる気がする。(だから初対面や親族と関わりの無い知人にはカミングアウトできる)


帰省時期が近づくたび、「いつか伝えなければならないのか」と考える。
そのきっかけはいつなんだろうか。どうせ期待を裏切るのなら、早く伝えたほうが家族も次の楽しみを探せるんじゃないか?
ふと思ったのは、みんなきっとこうやってかみ合わない苦しさを体験しているんだろうなってこと。わたしの知らない恋人たちのあれこれ(不倫、片思い、その他もろもろ)はきっとこんな苦しさなんだろうかとか。
それでもやっていかなければならないのが人生なんだろうか。(大雑把)

あと書いてて気づいたのは、わたしこそが価値観にとらわれているんだろうなってこと。
家族と直接話し合ったこともなく、表面的に傷つくことを恐れて何も動けずにいるうえに、家族みんなが「ヘテロロマンティックな核家族肯定派」だと思い込んでいる。祖母も祖父も母も父も、時代の価値観に少なくとも合わせて生きてきたうえで現在の肩書を背負っているだけで、本当のところは話してみないとわからないはずだから。
だから、結局のところ本人たちと話し合ってみるしかないんだなあと。生きて話せるうちに。
自分の心が安定してるタイミングで、彼らの心労が度を超える前に、話すことが出来たらいいのかなあ 心配しないで、わたしは幸せだから大丈夫だよって。


これは来年中に、とか期限を決めて追い込むようなことじゃないはずだから、のんびり自分のペースでいこう。
わたしの人生だからわたしを一番大切に、本当の気持ちを知って助けられるのはわたしだけ。

来年も幸せになろっーと!




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