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短歌を選すること

恋愛短歌同好会は初採用で一位に一票差の二位であった。

二位で良かった、と瞬時に思えたのは、まずは六首中二位に選んで貰えたこと、次に、一位を取る心構えができていなかったことがある。

前者は単純な喜びだ。この歌は自分の中でもよくできた歌だと思っていた。それが評価されたことは、自分の向いている方と周りの人々の向いている方が同じだと言うことだ。

後者が複雑で、恋愛短歌同好会は一位になると次回の選と評を任せてもらえる。
今回の朝野さんのように、作歌も選も力のある人がその役のときは投稿する側もキャスを聞く側も力が入る。

もちろん、知る人ぞ知る人が一位になっても、toron*さんの力で会は十分すぎるほど成立することが、この企画が50回近く続いている所以だと思う。

それはそれとして、自分が一位になって選と評を任されたとことを想像したら、その責任に震え上がってしまった。

ただ、足りないのは自分の「心構え」の一点であることも分かっていた。toron*さんもリスナーのみなさんも、ラッキーパンチで初心者が選者になったとしたらそれはそれで面白がる力を持っている。

だから、自分が選者になるとしたら「力不足です」などと断るつもりはなかった。もちろん、そういう理由で選者を断る人がいてもいいが。今回は、恐ろしさに耐えながらその立場になったら「やります」以外の答えはないと思っていた緊張感から解き放たれ、脱力の喜びは確かにあった。それ以上に悔しいが。ただ、受けるにしても問題は必要な時間だ。これだけはどうしようもない。

以前、他の人のキャスでも短歌について話しませんかと言われたことがあるが、子供の寝かしつけの時間にラジオが重なることを理由に断ってしまった。選評は絶対に楽しいはずで、やってみたいが納得の行くものを作れる時間を用意するためには覚悟や用意が必要だと感じた。

そう思うと、普段何気なく目にしている、耳にしているものに大変な時間と労力が注ぎ込まれていることがわかる。

本当に多くの方々が、動かせない予定を動かし、出せない力を出して形にしているものを私は享受している。

キャスのコメント欄で色々な方が自分の短歌について評をしてくれているのも、内臓をほじられているような恐ろしさと、全身の膿を吸い出してもらっているような気持ちよさがあった。

個人的感想は以上。2位は悔しい

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