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みどりいせき感想2

2024年6月
※以下の文は、昨年の年末ごろにすばる誌上でみどりいせきを読み終わったあとに書いたのですが、ネタバレもあるといけないので単行本化するまで下書きにしておいたのですが、そのまま忘れていたものです。


2023年12月
今日はどうしても関わりたくない仕事があって、ただ今日をやり過ごせば二度とその仕事と関わらなくていいこともわかっていたので、体調が悪いことにして早退しました。仮病ではなく、本当に体調が悪いのです。その仕事のことを考えるだけで本当に腹が痛くなって、ずっとトイレに籠もるほどなのだから本当です。早退した時間に一気に「みどりいせき」を読み終えました。

ネタバレかもしれないけど、最も盛り上がったところで話がバシッと終わってしまう。超くだけた口語体にも、全く説明されない登場人物たちにも、結果的には親しみ(愛、かもしれない)を全面的に感じていながらこの終わり方には驚きというより、寂しさを感じました。

といっても、終わったのはこちら読者の都合で、小説としては何も終わっていない。続編は読みたいとは思わない。このままただよったまま終わっていてほしいなと思う。

私は、映画でもなんでもそうだけど、とにかく集中力がないので最後まで読めた時点で自分にとって最高の作品です。前回の感想に書いたように、みどりいせきはめちゃめちゃ面白い小説です。

ここからネタバレ

これは個人的なメモ。自分は読んだ小説をすぐ忘れてしまうので。


春がタタキにあったときにペニーで何度も頭を殴っていた人物は死んでいたのか?死んでいたなら警察は草より殺人容疑で春を探していたのかと思う。本文にその描写はない。

主人公モモは、春たちのグループに居るときは相対的に気弱で世間知らずに描かれている。犯罪と無縁だったモモが春たちのやっている行為を理解していく描写は、読者への状況説明として役立っている(それでも全然説明不足ではある)。なので、モモは読者に近いところにいるのかと思ったら、突然バイト先にイキったメールを送りつけたり、春たちにも幼児のようにキレたり(後者はブリブリだったとはいえ、前者は完全にシラフでやっている)、何層にもペルソナがあるように感じた。

特に序盤はモモの性別も容姿も性格も、置かれた状況も全く説明されず、キャラクターがほとんど掴めていないので、「僕」という一人称は終わってみれば一貫してモモのことではあったけど、様々な登場人物が代わる代わる「僕」として独白しているのでは?という想像もした。

モモがどういう人物なのか分からないのは結果的にはモモのことを深みのあるキャラクターにしたと思った。


「登場人物の掘り下げ」なんてこの小説には無意味なのかも知れないけど、春の仲間たちのことが最後まで全くわからなかった。

というのは、春の兄が栽培する草を手押しで捌いて、結構な額を儲けている集団なのに、一人ひとりの目的が描かれることが無かった。

つまり、なんで春たちは、悪い大人の餌食になることもなく、草の手押しとかいうハイリスクなことをやっているのか、やれているのか分からなかった。

かろうじて見えるのは、仲間たちが集まって借りたマンションでブリブリになりながらゲームしたり音楽聴いたりしているのが楽しそうだなってこと。ほんの数名でも人間が集まれば思っていることがバラバラなのは本来自然なことで、全員の目的が「草売って儲けてみんなで遊ぼう〜」とはならないんじゃないかな、と思った。特に金が絡んでいれば。

(グミ氏はボイトレに通ったりシンガーを目指しているらしいので、ちょっとだけ目的が分かりやすい。)

でも、草は春の兄の静から供給されるから単に遊ぶだけならそれを自分たちで吸うだけで良いし、当時は合法だったリキッドも使っている。わざわざ命の危険があるタタキのリスクを負ってまで草を売る理由がよくわからなかった。

これが「闇バイト」の話なら春たちの仲間は悪い大人に騙されて無理矢理それをやらされていて、金も全て没収、逮捕とタタキのリスクだけ負わされて使い捨てられる、という可哀想な少年たちだけれど、この小説の中では春たちはあくまで自主的にプッシャー業に励んでいて、頑張ったら頑張った分だけ大金が貰えるというなかなかホワイトな感じであった。

怖いのは敵対するグループと警察だけで、お互い疑心暗鬼になったりもしない。モモが抜けたい、と言った時も誰も止めなかったし、ラストではモモをなんとか日常に戻そうと皆で尽力する。物凄くみんなピュアなのだ。

この辺も、描かれていないだけで実際は複雑な設定があるのかもしれない。

けど、違法薬物を買う人・売る人・作る人・それを取り巻く人、の構造の中で、売る集団がこんなにピュアで居られるかな?という疑問はあった。

みんなで縄文時代のドキュメンタリーを見ているシーンで少し語られたけど、草への信仰的なものとか、そこからもたらされる平和とか愛とか、世界の受容のしかたとか、そういう精神的なものが魅力的なのは分かるけど、それだけでプッシャーができるか?と思った。

草は確かに面白い。けど、日常になってしまう速度も早くて、そんなに長い期間神聖視していられないと思う。モモみたいに新鮮に驚ける期間が終われば、予想の範囲を超えた飛び方はしないし、奪われる時間の方に勿体なさを感じるようになって、そのうち吸ってても吸って無くてもどっちでもいい、ようになって自然と信仰めいた体重のかけかたはしなくなるんじゃないか。

適度にハッピーに吸っているだけならいいけど、何度もタタキにあって命を狙われてまで「売る」ことへの執着がよくわからなかった。真意かは分からないけど、ブリブリになっている春がプッシュすることを「間接的に愛を撒いてる」と言っていて、草を広めることで世の中に愛を広めようとしているのかとも思えたけど、その辺は「気づき≒思いつき」で全てではないだろう。

なら金が目的?だとすると集団のピュアさと矛盾が生じる。ある場面では愛しあうことを至上だとみんなで語りながら、終始一貫して草は金儲けの道具であり、敵対する相手の顔面にスケートボードを何度も振り下ろす。せめて儲けた金の使い道が明示されていれば集団の目的に納得がいったかも知れないけど、遊ぶ金以外の使い道はよく分からなかった。

春たちがどこまでもピュアに描かれることと、やっていることのバランスは崩れているが、「そういうものだ」と思えばそこに矛盾はない。


大麻が日常を超越してそれ自体が目的化するほど大きな理由になるかなあ?というのが正直なところで、そこにあまりにも幻想を抱きすぎている気もした。

大麻そのものが春たちの原動力だってことなら、(存在しないことになっている)大麻依存症で、春たちは人生の中で大麻が占める部分が大きくなりすぎているのだろう。大麻を抜いたら心に空洞が空くようじゃピースじゃない。そもそもピースな話ではないのか。

個人的には、大麻は全然人類フレンドリーな都合の良い植物でもなくて、大麻は大麻で勝手にやっているだけだから、大麻自身は人類に対して勝手に「愛」とか「平和」とかと結び付けんなよって怒ってるいるんじゃないかなと思うので、全然依存形成もするしデメリットもあるし、メリットもあると思う。人類目線で「大麻側」vs「それ以外」みたいなアングルで人生変わっちゃう事自体があんまりかっこよくない。気がする。

この小説自体が語られていない部分が多すぎるから、読んだ部分だけで語るのも馬鹿馬鹿しいし、そもそも矛盾だらけの方が人として自然なことだと思うと、上記のようなことが気になった自分の方が馬鹿馬鹿しい気もする。

こうやって考えることで、自分には見つからなかった点と点の繋がりが一気に線になって行くことがよくある。あと2回くらい読んで、春やモモが何をしていたのか、もう一度考えようと思う。


以上個人的なメモでした。





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