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宇崎ちゃんポスター騒動に感じるズレ

一般向け漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のヒロイン、宇崎ちゃんが赤十字の献血キャンペーンポスターに選定され、しばらくは平穏な時が流れていたのだが、一部の識者がそのポスターが性的(環境型セクハラ?)であると指摘したことから、様々な方面に飛び火し、大問題化してしまった。

『大問題化した』とはいえ、正直このような問題は毎度の如く起きているお決まりの展開である。地方のコラボキャラが叩かれるのも珍しくないし、近頃ではキズナアイが叩かれたことも記憶に新しいだろう。

だが、今回の件で異様に思えたのは、一部のオタク側、クリエーター側からも賛同の声が上がっていたことである。それまでは「ああ、いつものことか」と静観していた僕だが、この一部の流れを見て、流石に危機感を覚えた

ゾーニングの対象にならない一般書籍のキャラポスターを排除しろという主張は、つまるところ【組織に自主規制を求める】ということだ。過去、この【自主規制】によって様々な苦々しい思いをしてきた作家、創作者の知り合いは数多い。【自主規制】は【規制】へと繋がり【焚書】へと至る。このままこの件に関して、創作者として黙認しているのもまずかろうということで、今回筆を取ったというわけである。

それでは、巷で見かけた論調について、一つずつ検証していきたいと思う。まず、Twitter上で見かけた以下の意見。

これはつまり【昔のオタクはアニメや漫画のコンテンツを一般人から遠ざけ『カタギの人には迷惑をかけんじゃねぇ』とする姿勢があった。それなのに現在のオタクは迫害だの侵害だのと主義主張がやかましい】という論調だ。
これに関しては一言もの申したい。

結論から述べると、そのような事実はない。オタク自身が「この漫画地上波で流して良いのー?ww」と反応していたのは事実だが、それは主に自らの照れや居心地の悪さからの発言であり。今回のような『一般向けで普通に書店に並んでいる漫画キャラ(しかもその漫画の表紙として利用されている絵柄)とのコラボがバッシングされる』という【理不尽な迫害】に対しては、昔も同じように抗議の声を上げ続けてきた歴史がある

今回の件は昔のオタクも恐らく「赤十字とのコラボかよ!凄いな!」と反応していたはずだ。(そもそも【昔のオタク】というのも随分奇妙な存在だが…。昔オタクだった人間は大抵今もオタクである)これと比較されるべき似た過去の事例としては『魔法先生ネギま!』のアニメ主題歌である『ハッピー☆マテリアル』が一般向け音楽番組で取り上げられた(というか取り上げられる為に一致団結してCDを大量購入した)際にオタクが歓喜した出来事が近いだろう。

そして『ハッピー☆マテリアル』が一般向け音楽番組で流された際他の一般向け曲に比べて紹介時間が短い】という出来事が起きた。それに対して当時のオタク達は「おい!なんでハピマテだけ紹介時間が短いんだ!これはオタク排除じゃないか!おかしいだろ!」と抗議の声を上げた実例があるのだ。

つまり、昔もオタクは理不尽なオタク排除、差別に対しては同じように抗議の声を上げ続けていたわけだ。昨今になってそれが目立つようになったのは、やっとオタクに発言力が生まれただけの話である。

『カタギに迷惑を…』云々はTPOを守れという話であろうが、それは近年のコミケを見ても、オタク自身が自己批判してる話だ。「過激な紙袋は電車に乗る時は隠せ!規制強化されるぞ!」とオタク自身からツッコミが出てたのは記憶に新しい。オタク自身もゾーニングの範疇を超え、規制強化に繋がる可能性がある問題に関してはナーバスに反応している。それはかつて、オタク自身がそれらの問題から、数々の表現規制を被ってきた苦々しい思い出があるからである。つまりこれは【自分達が表現規制されない為の防衛行動】である。だが、今回の件はそれとは全く性質が違う。

今回の【一般向けで普通に書店に並んでいる漫画キャラ(しかもその漫画の表紙として利用されている絵柄)とのコラボがバッシングされる表現の自主規制】に対して「そうだな、撤去すべき」と反応するのは【自主規制】を擁護していることに他ならない。かつて数々の創作者、オタク達をあれほど苦しめてきた【あの忌まわしき自主規制!】をオタク自身が擁護するとは、とても正気の沙汰とは思えないことだ。

また、宇崎ちゃんポスターの騒動に関連し、Twitter上で次のような論調も見受けられた。

しかもどうもこの方、漫画家のようである…。創作者ならば過去に生じた数々の自主規制がどれほどの問題を起こしてきたか嫌という程知っているはずなのに何故このような反応をしてしまうのだろうか?かつてはこの【自主規制】によって紀伊國屋から一般書籍の『ベルセルク』『バガボンド』が消えた。(紀伊國屋事件)

どうも今回の件【公共の場にはふさわしくない】という論調から【撤去に賛成】という流れに持って行きたがる人が多いようだ。何度も重ねて言うが、今回の件はただただ単純に、

一般向けで普通に書店に並んでいる漫画キャラ(しかもその漫画の表紙として利用されている絵柄)とのコラボがバッシングされるという理不尽な迫害

なのである。

【公共広告にはこちらが適当】とゾーニングの範疇に収まっている作品にまで【自主規制】を求めると、次に行き着くのは【規制】である。(なぜならばその【適当である】という基準は個々の自己判断であり、際限がないからだ

そもそも、広告主の日本赤十字社が【問題なし】と正式に表明したのだから、個人主観の【公共広告にはこちらが適当】を尊重するよりも、日本赤十字社の見解を尊重すべきで、本来、この件はその時点で終わりのはずの話である。

規制されれば、当然、その矢は創作者に向く。

【TPOをわきまえた配慮】はあくまで【規制】されない為の【自己防衛行動】であるが、【理不尽な排除に対しての配慮】は【規制】を促進する力にしかならない。

実際に今回の件で宇崎ちゃんポスターを否定し、排除を主導している人物は、それらの【規制】を最終目標にしていることは火を見るより明らかだろう。

今回のこの宇崎ちゃんポスターの騒動の一件。この論点がどうもごっちゃになっており、当事者に近いオタクや創作者自身もその問題性の根幹を理解しきっていない感がある。

【公共の場にふさわしいもの】【TPO】という大義名分に惑わされ、一部のオタク、創作者自身が表現の自主規制推進に力を貸す構図になっているのは、非常に奇妙かつ危うい話である。

我々、オタクや創作者は【創作の自由】というものが非常に脆い地盤の上に屹立してることを改めて認識しないといけないだろう。


というわけで結論。宇崎ちゃんポスターは問題ない




(そもそも、単純に思うのだが。公共広告としてふさわしくない云々の論調は【宇崎ちゃんは遊びたい!】の作者に失礼であるとは思わないのだろうか…)

(トップ画像は日本赤十字社リリースより引用)

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