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女城主の愛と哀 ~おつやの方~ 後編

・武田の女 織田との戦い

1573年、西上作戦中の信玄が病死。これにより武田軍は本拠の甲斐(山梨県)へ引き上げた。

1575年、信玄の後を継いだ勝頼(かつより)は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗。
武田の弱体化を見て取った信長は、岩村城の奪還に動いた。
信長は息子・信忠(のぶただ)に岩村城を包囲させた。虎繁、おつやの方は城の守りを固め、織田軍を迎え撃つことを決める。しかし織田の大軍に対し、長篠の戦いで大敗した武田軍は満足に兵を集めることはできなかった。

織田の攻撃に対し虎繁もよく守ったが、ついに降伏する。

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勇猛果敢に戦った虎繁、信長のおばであるおつやの方、そして城兵たちは、信忠により助命されることになった。
その礼をするために虎繁とおつやの方が織田本陣を伺うと、約束に反し拘束されてしまう。
信忠は助命しようとしたが、父・信長は違った。自身のおばでありながら、かつて武田の攻撃に降伏し生き延びたおつやの方を、大変憎んでいた。虎繁は磔にされ処刑された。城には火が付けられ、城兵は焼き殺された。おつやの方については信長自らが全身を斬り刻み、処刑したという。


・おわりに

おつやの方は戦国の荒波に翻弄された女性の1人であった。

信長の命で岩村城の影任に嫁ぎ、武田と戦う。信長に援軍を請うも援軍は来ず降伏、敵将の妻となる。それを信長に恨みに思われ、最後は信長と戦い敗れ、処刑。

失うものの多い人生であった。

戦国時代は男の戦いの時代と言われるが、その裏で戦う女も多くいた。今回はそんな女傑のことを知って頂ければ幸いである。
乱世を戦い抜いたその生き様に天晴れを贈りたい。


現在、岩村城がある岐阜県恵那市岩村町では、町おこしの一環としておつやの方を取り上げている。

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岩村町は800年以上の歴史を持つ城下町として、数多くの旧跡を有する史跡観光の町である。江戸時代からの商家町の景観は「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定された。

岩村城下町古い町並み①

また、面積の70%弱を雄大な森林が占めている。農村景観日本一と称される富田地区や、清流の象徴ホタルが舞う飯羽間地区など、豊かな自然にも恵まれている。

農村景観日本一地区

さらにはそんな日本一と称される農村の中を走る「明知鉄道(あけちてつどう)」。1両のワンマンカーがコトコトと走る姿は、旅情を掻き立てられる。

岩村駅005


そんな岩村町で注目したいのが次の2つだ。

まずは、岩村醸造の日本酒、「女城主」。

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米の旨みを生かしたまま、口をスッキリとさせてくれる旨辛タイプ。
ラベルにはおつやの方があしらわれている。


そして地域特産のテイラーチョークである。

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チョークは土に油脂や顔料を混ぜたもので、洋裁用として生地に線や印を付ける時に使われる。岐阜県はチョークの材料となる土の質が良く、チョーク以外では焼き物にも使われている。岐阜県ではこのチョークの生産が盛んだ。

その中でも「人物印(じんぶつじるし)」と呼ばれるブランドのものは、国内外問わず評価が高い。

どんな生地にも、カラ滑りせず、鮮明な線がのります。
減りが少なく、削りよく、粉が散らかず衛生的です。
ステッチ縫いには、目飛びがなく、快適に運針ができます。
ボロボロ欠けることなく、終わりまで使えて、お得です。
自然風化によってより丈夫になる特質があります。

洋裁関係に携わったことがある人なら、おそらく一度は見たことがあるであろうブランドだ。

そんな人物印のチョークだが、ここ岩村地区では「女城主」の限定パッケージのものが販売されているらしい。洋裁に興味がある方も、そもそもテイラーチョークなんて知らなかったという方も、ぜひチェックして頂きたい。


おわり