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第44.4回「山崎の戦い」


「信長様を討ち、心ある者と手を携え、世を平らかにしてゆく。それが我が役目と思い至った。」


6月10日。

〇光秀はこの日、毛利家と戦っているはずの羽柴秀吉がすぐ近くまで戻ってきていることをようやく知りました。

秀吉のあまりの速さに驚いた光秀は、各地に派遣していた兵を急いで呼び戻しています。


〇これまで光秀に協力姿勢を見せていた筒井順慶が、秀吉に協力することを表明しました。


〇越中(富山県)で上杉軍と戦っていた柴田勝家は、本拠地の北ノ庄城(福井県)に戻り、光秀討伐軍の準備をしています。


6月11日。

〇光秀は順慶の裏切りに激怒し、筒井領付近に軍を展開し威嚇。
さらに重臣の藤田伝吾を順慶の説得に向かわせるも失敗しています。

伝吾


6月12日。

〇光秀は順慶の説得を諦め、筒井領を離れます。
羽柴軍を迎え撃つべく、藤田伝吾や斎藤利三らを率い摂津(大阪府)と山城(京都府)の境である山崎に布陣します。

その数はおよそ1万6千。

明智左馬助は近江方面の防御のため、安土城に残りました。

左馬助

余談ですが、ここ山崎はウイスキーの「山崎」が有名です( ゚v^ ) オイチイ


〇秀吉も丹羽長秀ら織田軍と合流し、山崎に布陣しました。

その数はおよそ3万6千、明智軍の2倍以上でした。


この日は小競り合いはあったものの、大きな戦闘はありませんでした。

山崎の戦い


6月13日。

ついに明智軍と羽柴軍による天下分け目の天王山、山崎の戦いが始まりました。

戦いは明智軍からの攻撃で始まります。

明智軍先鋒の斎藤利三らが羽柴軍へ攻撃をしかけます。

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この攻撃で羽柴軍は一時的に混乱状態に陥ります。
このまま押せるかとも思われましたが、天は光秀に味方をしませんでした。

雨が降り始めたのです。


光秀は戦いに臨むにあたり、鉄砲を大量に揃えていました。
光秀本人も鉄砲の名手として知られましたし、「明智の鉄砲隊」の実力も知れ渡っていました。

羽柴軍との兵力差を鉄砲の火力で補おうとしていました。

しかし合戦中に降り出した雨により、火縄銃は沈黙。
明智の鉄砲隊は機能しませんでした。

兵力で勝る羽柴軍はその後態勢を立て直し、反撃。
光秀、斎藤利三らの奮戦むなしく、明智軍は敗れたのでした。


光秀は戦場後方の勝龍寺城(しょうりゅうじ じょう)に退却します。

この退却の中で光秀は斎藤利三、藤田伝吾とはぐれてしまいました。


羽柴軍も光秀追撃を試みましたが、被害も少なくなかったため、本格的な追撃は見送っています。


つづく