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考えて考えておかしくなれよ

前回らしくないオチのないふんわーりしたnoteを書いたのでバランスを取りますね(?)

統一地方選挙が近づいてきている。というか終わってるところは終わっている。行かない理由はない。たとえそれが賽の河原の石積みに等しい行為であったとしても。

選挙に行かない人は一定数いると思うのだが(というかこの国ではそっちの人のほうがおおい)、小さい頃から投票には行くもの、大なり小なり普段の生活の中で『政治』を意識しそこにそれをみいだし参加するのは当たり前というような家庭で育った私には、行かない理由があまりよくわからない。別に対して時間がかかるものでもないし、期日前投票もかなりの猶予を設けて行われているし、政策やその人の信条とかもぜんぜん信用ならないけど公開されている。すべてを十全に追えとは思わないけど、結局政治を(個人の考えにおいて)よくしていくことでしか日々の暮らしの改善や困ったときの救済措置には繋がらない。避けては通れない事象であるのは明白だ。まあその選挙は行くものとすりこまれてきた環境が『特権』だといわれてしまえばそれまでなのだけど、いちおうめちゃめちゃさらりとしているとはいえ、義務教育中に社会のなりたちとか仕組みはみんなの頭に入れこまれているはずだ。それを考えると、個々人の行動や意識、工夫だけで気持ちよく生きようとするのは限界があるとどうしたってわかる。

そりゃそうだろう。人を殺さないようにしようとお互い呼びかけあうのと、人を殺したら罰が下るという明確な枠組みをつくるのとでは、当然結果が異なってくる。そしてその大枠を作れるのは、いちおう民主主義国家であるらしいこの国では『私たちが選んで』上の方に座らせているやつらしかいない。ここ数年間は特に、それがぐらついていると何が起きるかということが(未曾有のことではあったので多少不備やミスがあったとはいえ、あまりにも、だった)、私たちの目の前でたしかな迫力と実感を持って繰り広げられた期間だったように思う。少なくとも私はそう感じた。
それを経て得たものもたしかにあったが、そんなのは結果論だ。失敗や不備による犠牲や損失は、なかったらなかったほうがもちろんいい。こうするしかなかったこれが最善だったんだなんて、後からだったらいくらでも言える。もうそれは起きてしまい、終わってしまったことだからだ。

では、あのときのそれは本当にただしかったのか。そうするしかなかったのか。失敗したこともその過程で起きたことも、分析すれば後に役立てられる要素があるのではないか。自分が信じているもの、是だと思っていることを冷静に精査すること。それが大事で、場合によっては意見を変えるか支持し続けるかを選ばなければいけないわけで、選挙はそれによって弾き出した考えを表明するいくつかの手段のひとつだろう。クソの中からマシなクソを選ぶとは誰が言ったことだったか、でもそうしないと自らの意思は伝わらない。そうしたところでも別に伝わらない。が、方法はそれしかない。

だから『ひとつ』という言い方をしたが、ウェイトの重さは他の選択肢とは比べ物にならない。それをさぼれば、自分、ないしは大多数の似た考えの人間にとって間違った方向に転がっていくのは必至だろう。沈黙は必ずしも肯定を意味しないと個人的には思っているけど、少なくとも選挙というイベントにとってはそうではない。銃で誰かに撃たれ苦しんで死ぬか、自分の意志で薬を飲み死ぬかの二択ではあるが、選ばなければ死までの長い余白に余計な痛みを与えられるのは必至だ。自分が関与しなかったことで、他人が選んだもので命をチーズみたいにごりごりと削り飛ばされるなんて、そんなのあんまりじゃないか。

話が戻るが、投票にどうしていかないのかわからないと言っている私の兄弟は、同じ教育を受けたはずなのに投票に行かないタイプの人間になった。どうせ変わらないから無駄だから、というのが彼の持論で、それは家族兄弟が一堂に会した場で両親や私がどんなに説得してもそれは変わらない。子供もいるが、きっと彼らも参加しない人間になるのかもしれない。親がそんな感じだから逆に、ということもあるかもしれないが。

でも、気持ちはよくわかる。一票の格差という言葉があるように、機会的にも人数的にも世代間によって一票の平等な重みなんて概念はとうの昔にぶっ壊れているし、選挙に行ったとしても何も考えず適当な知ってる名前を書いてポイ〜ってしたところで世の中が良くなるわけがない。もうすでに投票•開票が終わっている地域の結果を見ていると、そのデータのあまりのあんまりさに無限にため息が出る。

むやみやたらに投票に行こう!!!若者よ!!!票を投じろ!!!というような意見はあまり好きではない。たしかに大事なことではあるが、なんか気に食わない。なんか本質をすり替えようとしてない???と思ってしまう。もちろんそうではない人がたくさんいるのも知ってるし、本心で言っている人がほとんどなのも知っている。なんなら俺だって普通に友人とかに選挙に行こうよって言ったりするし(幸運なことに仲の良い友人の投票率は高い)、言い続けることが大事なのは痛いほどわかる。

だけど現実として、数の上ではもうすっかりマイノリティであるこの国の若い世代が投票にあまり行っていないというただそれだけの理由でこの国がオワコンカントリーニッポンになったわけではない。たかだか10年20年くらいで、こんなすべてにおいて最悪な国家がなんの前触れもなく生み出されるわけはない。私たちに選挙権はおろか命すらもなかったずっと昔、そこからこつこつじりじり積み上げられてきた過去の蓄積が、見ないふりをした考えなかったふりをした累積が、溜まりに溜まった結果だ。
ここで歯止めをかけなくてはない。そうしたいと私も思っている。じゃあ、なんでもっと早くやってくれなかったのか。なんかずいぶん他人事じゃない? 少しだけ、本当に少しだけ、そう思う。そして、私は下の世代の人たちにそうは思われたくない。

だから、たとえ精緻な絵を波打ち際に書いたりするようなことだったり、いつかは腐るお菓子の家を苦労して建てるようなことだったりするとしても、それでも、私たちは投票に行かなくてはならない。いや、『政治』に参加しなくてはならない。あらゆることをわからせ、目を配らなくてはならない。みつめつづけなければならない。目がふたつでは、とうてい足りない。だからもっとみんなおかしくなれよ。おかしい国に生きてるんだからおかしくなれよ。考えすぎて。政治以外のことでもいい、趣味や興味のある分野のこととかでもなんでもいいけどどうせ全部つながっているから、とにかくもっともっと考えて考えすぎて一周回ってたまには暗い気持ちになれよ。ずっと明るい気持ちでいるなよ。死にそうな顔の人を無視して楽しいだけの場所に行くなよ。布団から出れてえらーいなんて自分で自分を褒めてこのどう考えても昔より悪化してる社会をこんなもんだぜハハハと乗りこなしながら芸能人の不倫報道や顔も知らない匿名アカウントの炎上にに一喜一憂して誰でも言ってるような美辞麗句を並べ立てながら自分の人生を改ざんして職場で仕事ができない人の人格否定を同僚同士でささやき合い自分に対して興味津々すぎて他人に対してはカフェのオムライスの水菜くらいしか思っていない頭で質の悪いアルコールを救いとか称し飲んで好きなものだけを垂れ流す電子機器の画面をぼけーっとした顔で見つめているなよ。無断転載の犬猫動画で辛いときは癒されようとかやってるんじゃねえよ。考えろ。おかしくなれよ。すべての行動をさぼるな。

私含め、人間は別に生きてるだけでえらくはない。巣を襲撃してきたり子供を捕食したりするような主だった外敵もなく、システムにはまり込むことができれば形はどうあれ生存可能な生物である私たちにとって、『ただ』生きることは人間であることの最低条件だ。

工業製品じみた真顔に限りなく近い笑顔のまま、最期までの空白を生きたくはない。だから、もっとおかしくなることにする。そうなるとずっとずっと首を吊りたい気持ちのままだけど、しょうがない。いつか自分が、もっとひどい、にっちもさっちもいかないような立場に置かれるかもしれない。それを避けたい。だから、おかしくなるしかない。死ぬよりはましだ。

こんなことをつらつらと書いているうちに、朝はやってくる。でもそれは当たり前ではない。社会が維持されていること。この文明社会では、朝が来て夜が来てという自然の摂理ですら、人の手にゆだねられている。そのシステムは、私たちの命やいとなみが形作っているものだ。が、それは定額使い放題のサブスクではない。定期的に点検しなければあっという間にぶっ壊れて機能を停止する。知っていただろうか。実は私たちは機械ではない。だから、そうなってしまえば、生きることはできない。だから私は、自らのキモイ体と頭を引きずり、狂いながら石を積み続ける。何度、崩されるのだとしても。

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