見出し画像

価値観の違い〜両家の挨拶より〜

結婚に際して、大きな価値観の違いにぶつかったのでお話ししようと思います。
元々、私は奥さんと住み始めた時点で、奥さんとは結婚することを決めていました。そのことはお互いの両親にも伝えていました。しかし、私が適応障害になったため、籍を入れるのは来年にしようと延期を決めました。
ですが、そんな中妊娠が発覚したため、急遽、籍を入れることになりました。
個人的には、腹を括って生きていこうと決めるキッカケになりました。
もちろん、義両親、両親ともにこっぴどく叱られるだろうと思っておりました。(実際、そうでした。笑)
形はどうあれ、結婚を認めていただき、両家の挨拶をすることになったのですが、ここで大問題が発生します。

両家の考え方の違い

両家の挨拶に対する考え方、ひいては結婚に対する捉え方や考え方が両家の間で大きく違ったのです。
奥さんの家では、”家族になること”と捉え、娘が嫁ぐ=Ao木家の人間になるという考えでした。
一方で、僕の家は僕と奥さんが2人で生活を営んでいくのだから、冷たい言い方になりますが、興味がないのです。ある意味、僕が選んだ人ということで信頼されているので、子供ができたのなら死ぬ気で奥さんと子供のために頑張りなさいという考えでした。
それぞれの背景として、奥さんの実家ではお義母さんがお義父さんの家に嫁いで同居している環境があります。一方、僕の家では、父方の実家とは縁が切れており、母方の実家は近所にあり友好な関係のため、母が嫁いだというような感覚はあまりありません。こういった背景の違いから、僕と奥さんのい間にも価値観の相違がありました。

実際、僕自身、顔合わせ程度ならまあわかるといった程度の認識で、両親はめんどくさがるだろうなーぐらいで考えていました。大阪に連れて帰るとかならともかく、当面は新潟で過ごすので事実は嫁入りですが、実態は奥さんの実家に近いところで暮らすことになります。奥さんとこれから生まれてくる子供の3人でやっていく、これからの未来の方が重要だと考えていました。これが僕を含めたAo木家の温度感です。

しかし、奥さんの実家では根底に”家族になる”という考え方があります。
つまり、両家の挨拶は重要な意味合いを持つことになるのです。
結納やお中元の話までされたときは目玉が飛び出るほど驚きました。
結納なんてしても形式的なものだろうし、お金がもったいないので必要ないと考えていたところに、家族間同士で結ぶ契約と聞かされたときには焦りを感じました。
この温度感の差に僕は途中まで気づかず、両家の間で一触即発まで行きました。ていうか、現在進行形です。笑
奥さんの実家からすると、ある意味軽く捉えているAo木家に憤慨していますし、無責任な親だと思っています。Ao木家からするとえぇ・・・マジか・・・もう、子供ではないのだから、子供たちが選択すべきではないのかといった感じ方になっています。

僕自信が感じたこと

今回の経験で、環境や経験によって一つの事柄に対する考え方が大きく変わることを思い知らされました。
結婚に限らず、多様な人間関係の中で価値観がぴったり合う人はいません。
自分の常識は他人の非常識とはよく言ったもので、価値観が違うから否定的になるのではなく、そういう考え方もあるんだね。と許容し、お互い歩み寄って、落とし所を模索していくことが関係性を築いていくうえで重要なことなのではないでしょうか。