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性暴力を許さない 〜私が今思うこと〜

ここ最近、性暴力や性被害について考えることが多いので、自分が思っていることを書いてみようと思う。
つながりとかまとまりとか、そういうところで読みにくい部分があるかもしれないが、その点についてはご容赦いただきたい。

※性暴力に関する記述があります。ご注意ください。

まず、私が受けた性被害についてだが、明らかな暴行を加えられたり、身体に傷を負ったりするような経験をしたことはない。
適切な言い方かは分からないが、これだけでも私はかなり運がいい方だと思う。

SNSで自分の性被害の経験について書かれている方の投稿を見るたび、「こんなに辛い思いをしている方がたくさんいるんだ」と、胸が苦しくなる。

それと同時に、「自分がここまでの経験をせずに済んでいるのは、本当に運がいいとしか言えない」とも思う。

決して自分が受けた被害を矮小化するつもりはないし、どんな性暴力も許されるべきではないのだが、少なくとも自分は、現時点で普通の生活を送ることができていて、それは本当に幸運なことだと思う。

そんな私にも、嫌な記憶として残っている性被害の経験がある。電車内での痴漢だ。

被害を受けたのは2、3回ほどだが、それでも本当に嫌だったし気持ち悪かったし怖かった。

しかも、「これは痴漢だ!!!」とすぐに確信することはできず、「もしかしたらたまたま手が当たってしまっているだけかもしれない」と、別の可能性を必死で考えた。

友達と飲みに行った帰り、酔って正常な判断ができない状態になっているところを狙われたこともある。しかも相手はこれまた酔っ払っているおじさんだった。

自分自身、そのときの記憶が曖昧なのが悔しいが、頭もぼんやりしていて、素早く動けるような状態ではなかったので、嫌だと思っても抵抗することができず、目の前の席が空いて座れるまで、耐えるしかなかった。

きっとそのおじさんは自分がやったことも覚えてないだろうし、酔った勢いとか軽い気持ちだったのかもしれないけど、そんな奴が何事もなかったかのように、また普通に仕事に行くのだと考えるだけで悔しかったし、そんなときに限って酔っ払ってしまっていた自分にも腹が立った。
本当は自分を責める必要なんてないはずなのに。

性被害の中でも、「痴漢」は特に軽く捉えられがちだと思う。
痴漢されたことを話すと「自慢してるの?」とか、「女として見られてよかったじゃん」とか、心ないことを言われることもある(幸い、私は言われたことがない)。

思い返せば、中高生のとき、自分が痴漢に遭った話をネタとして話している同級生もいた。でも、その子はネタとして話すことで、必死に恐怖や不安をかき消そうとしていたのではないかと今になって思う。そうでもしないとやってられなかったのかもしれない。

周りの人だけではなく、被害に遭った本人でさえも、「これぐらいよくあること」「仕方ない」「大したことじゃない」と思わされてしまう今の状況は、本当にどうにかしなければいけないと思う。

2、3年ほど前に、シヤチハタの迷惑行為防止スタンプを購入し、今でも通勤カバンにつけている。幸い、このスタンプをカバンにつけ始めてから、痴漢の被害には遭っていない。
迷惑行為防止スタンプについては賛否両論あったし、実際に被害に遭ったときに、このスタンプを使おうという考えに至れるかは自分自身分からないが、少なくとも私にとっては、この目立つ黄色のスタンプは、大事なお守り代わりなのだ。

「私は運がいい」と先ほど書いたが、そんな私でも、嫌な経験はしているし、自分の身を守るためにどうすればいいかをそれなりに考えている。
(ちなみに、iPhoneだと「緊急SOS」という機能があるので、調べてみてほしい。家の中で試してみたら、めちゃくちゃでかい警告音が鳴り響いてびっくりした。
※すぐに止めたので通報はしていません。)

でも、どんなに気をつけていても、残念ながら被害に遭ってしまうことはあると思う。
そんなとき、周りに助けを求められる人は本当に少なくて、多くの人は誰にも相談できずに苦しみを抱えながら生きている。

また、勇気を出して誰かに相談できたとしても、否定されたり、自分にも落ち度があったんじゃないかと言われたりして、さらに傷ついたという人もたくさんいる。

私自身、もし身近な人から性被害を打ち明けられたら、どのように対応すればいいのか戸惑ってしまうかもしれない。
でも、絶対に相手を否定するようなことはしたくないし、何があってもその人の味方でいたいと思っている。

性暴力は本当に卑劣で許されない行為で、加害者が思っている以上に、被害者の人生に大きな影響を与えるものだ。

もちろん痴漢だって例外じゃない。「ちょっと触っただけ」とかいう問題じゃない。相手は現実世界に存在する、意思を持った一人の人間なのだ。
私の身体は、私だけのもの。誰かの欲求を満たすために存在しているわけじゃない。

また、直接的な暴力だけではなく、SNSなどで性的なメッセージを送ることも、立派な性暴力だ。
これだけは言わせてほしいのだが、たとえ自分は褒めているつもりだとしても、受け取る側にとっては苦痛でしかないこともある。「それじゃ何も言えない」と思うなら、どうかそのまま何も言わずに黙っていてほしい。

私自身、多くの推しがいるオタクでもあるが、推しのことをつぶやくときは、本人が見て嫌な気持ちにならないかを考えながら、言葉を選ぶように気をつけている。
オタクであるがゆえに感情が溢れ出してしまうこともあるが、それでも一定の理性は保っていなければならないと思う。

直接的かどうかにかかわらず、自分が発した言葉を受け取るのは、自分と同じ生身の人間であるということを忘れないようにしてほしい。

「もし自分が男性だったら、ここまでいろいろなことを気にせずに済んだかもしれないのに」と何度も思った。
でも、もし自分が男性だったら、こういったことには無関心のままだったかもしれない。
(関心を持ってくれている男性もたくさんいることはもちろん分かっています。)

男性で被害に遭っている方もいるが、多くの男性はこういった経験がないと思うし、それゆえにどこか他人事のように思ってしまっているところがあるのではないだろうか。

自分が経験したことがないことを想像する難しさはよく分かるが、それでも想像してみてほしい。
自分より力が強く、身体も大きい人間に抵抗することの難しさを。
恐怖のあまり声を出すこともできず、ただひたすらに耐えるしかない苦しみを。
被害に遭ったのを自分のせいにされて、真剣に話を聞いてもらえなかったときの絶望感を。
人としての尊厳を踏みにじられ、ただの「モノ」として扱われることの残酷さを。

性暴力は、決してファンタジーの世界の話ではない。私たちが生きているこの現実世界で、実際に起きていることなのだ。
自らの支配欲や性的欲求を満たすために、人の尊厳を平気で踏みにじる奴らがいて、そのせいでたくさんの人が傷つき、苦しんでいる。
そして、ニュースで取り上げられるのはほんの一部に過ぎず、ほとんどの場合は被害者が泣き寝入りせざるを得ない。

私たちは自分の身を守るために、もう十分頑張っている。どうして被害者が責められなければならないのか。どうして加害者が正当に裁かれないのか。あと何回この世界に絶望すればいいのだろうか。

最近ネット上で繰り広げられる論争を見ていると、辛くなることもある。
完全に分かり合えることなんてあり得ないし、自分の意見が全て正しいとも思っていないけど、もし性被害を軽く捉えている人がいるなら、一度立ち止まって考えてほしい。

被害に遭った人は、決して癒えることのない傷を抱え、恐怖と不安に支配され、死にたくなるほどの絶望感に襲われながら、生きていかなければならない。
中には苦痛に耐えられず、自ら死を選んでしまう人もいるかもしれない。

女性として生まれてきただけで、被害に遭うかもしれないという不安を常に感じ、自衛することを余儀なくされ、それでも被害に遭ったら「落ち度があった」と責められる。
「女だから」とナメられたり、タメ口で話されたり、下に見られたりする。

言い方は悪いが、こんなクソみたいな、地獄のような世界で、私たちは生きている。

だからこそ、こんな世界を変えたくて、一生懸命声を上げている人たちがいる。

私も、一人の人間として、そして一人の女性として、性暴力を一切許さない。

「女に生まれなければよかった」と思う人が、苦しい思いをする人が、一人でも減るように、これからも自分にできることは何かを考え、声を上げていきたい。


※今回は女性の性被害について書きましたが、もちろん男性で被害に遭われている方もいらっしゃると思います。
被害に遭った自分を責める必要は全くないですし、「男だから」と我慢する必要もありません。
最近では男性のための性暴力相談窓口も増えてきているので、一人で抱え込まずに相談してみてください。

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