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寛解

皆様のご機嫌を伺ってまいりたいと思います、おにぎり夫人と申します。

ジミンの記事を上げたいんだけどAgust D大大大供給祭が一向に終わらないから全然進まないんだよー。

「え?いまさら?」って思われようが必ずジミンの記事は上げてやろうと意気込みだけはいっちょ前なんです、

なんですが。

やはり避けては通れぬ『AMYGDALA』

こちらはアーモンドです

なんともはや、

そう来たか。

そうくるのかAgust D。

ああ、リアルタイムのユンギに関して、私はいつもポンコツだ。

言いたいことが形を成さなくなるのが最推し。

ただ、『AMYGDALA』は少しは思ったことが言葉になるかなとも思ったし

出してしまった方が、自分の気が楽になるのではと思った。

Twitterでもたくさんのフォロワニムが溢れる思いを綴っていた。

長い長いのがはじまっちゃいます、

いつもの如くですがこれはあくまでも私個人の感想であり見解です。

AgustDの手を離れ、私が受け取り私が感じた『D-DAY』そして『AMYGDALA』の話。

ご理解とご了承をいただけたら幸いです。
(めちゃくちゃ石橋叩くんよ私)

リアルタイムのあなた

控えめに言って好きです

先述した通り、私はリアルタイムのユンギにめっぽう弱い。みんなもそうなのかもしれないけど。

ソロ活動を追いかけていて確信した。

もちろんデビュー当時からの作品、映像、過去のタルバン、何もかも大好きに決まってるし、興味津々だ。

でも、いつだって『今』ユンギが何を考えているのか、『今』何がしたいのか、

とにかく『ユンギの今』にばかり意識が向く。

アルバム『D-DAY』の胸騒ぎ

Agust D三部作について確認

傑作の三部作

ここでユンギの言うトリロジー(三部作)について確認しておきたい。

ミックステープ『Agust D』では怒りと自らの過去を、

続く『D-2』では少し俯瞰で見た過去とその時点での自分、

そして今回の三部作の完結である『D-DAY』では、何かが終わることで、またそこから始まる地点、まさに過去と未来を分ける現在を描いた作品だと言えるのだろう。

色んなインタビューをざっと総合するとそんな感じかなーと思った。

『D-DAY』

こちらがうわさのD-DAYさんです

お恥ずかしい話、ここ何年もアルバムの発売を楽しみにする、なんて事がほぼ無かった。

音楽は好きだけれど、ドライブする時、家事をする時、なんとなく眠れない時、

そういう時にBGM的に流す音楽があればいい日々だった。

「お、」と引っかかるアーティストが現れれば、少し掘り下げるくらい。

だからサブスクリプションはとても重宝していたし、現在も頼りっぱなしだ。

バンタンを好きになった去年からだ、

アルバム1枚をまた大切に聴くようになったのは。

私がバンタンのファンになってからはソロアルバムばかりがリアルタイムで発売されていく。 

どの作品も好きすぎる

ソロアルバムはどのメンバーのも全部聴いてきたが、

いよいよ《最愛》SUGA/AgustDのアルバムだ。

発売日当日、何故かすごく怖くて、私は覚悟をもって再生した。

この時、一体私は何が怖かったのか。

胸騒ぎのそのワケ

サブスクリプションしかりフィジカルしかり、『D-DAY』を最初から最後まで通して聴いた方はわかると思うが

4曲目の『AMYGDALA』以降ガラッと様子が変わる。

ナムさんがホストを務めた『슈취타』、『R-취타』でも言及されていた。

슈취타.EP9

アルバム公開初日に聴いた感想としても、曲調からして、4曲目と5曲目でアルバムが分岐しているように感じた。

歌詞の意味は分からなかったけれど 、そこから明らかに違う。

10曲目、『Life goes on』を聴いて涙が流れた。

「やりたいこと、全部やったのかな。」

ふと、心にぽっかり穴が空いたように感じた。


元々はBTSの楽曲である『Life goes on』のトラックのせいだ。


Agust Dがだんだん透明になって、BTSのSUGAに重なって見えなくなる。

そんなイメージが頭に浮かんでしまった。


怖かったのは、

 新規の私からしたら、出会って間もない彼とお別れすること

LIVEにも行けないのに、彼にはもう会えないのではないかということ。

私が『D-DAY』を初めて再生する時に怖かった理由はこれだった。

発売前のインタビューなどからも少しずつ感じている方も多かったのではないだろうか。

「言いたいことがもう残っていない」

「アルバムをAgust Dの名義で出すべきなのか」

「今後Agust Dの名前で活動するか悩んでいる」

アルバム自体は本当に素晴らしいし、愛おしいし、出会えて良かったと心から思える作品だ。

ただそれとはまた違う感情が湧いてくる。

私はAgust Dを、このアルバムを最後に失ってしまうんじゃないか。

それが頭をよぎってとても、寂しくて悲しかったのだ。

AMYGDALAの話

アルバムが発売され、何だかそんな胸騒ぎとも折り合いを付けつつ純粋にユンギの音楽を楽しんでいた、(ツアー関連で気持ちが疲弊しつつあった)

2023年4月25日午前0:00。

『D-DAY』のスケジュール、

1番下の

ふぉろーあっぷとらっく

これが『AMYGDALA』だったわけだ。

私はこのMV公開当時、『AMYGDALA』が扁桃体の英単語であるということと、

SOOPでユンギが読んでいた『アーモンド』という小説が関係あるらしい、

くらいの知識しか持ち合わせがなかった。
 
その状態で、公開ほぼよーいドンでMVを観た。

MVが始まってすぐに理解した。

あ、見た事ある彼じゃん。

『D-DAY』フィジカルアルバムのフォトブックに居た彼らだった。

私ってば本当に勘の悪い女なもんで、フォトブックの해금以外のユンギのビジュアルがAMYGDALAのものだなんて思いもしなかったのだ(笑)

ユニバ2形態を購入したのだが、特典のポストカードはトラウマに苦しみ目に傷をつけ、

床を這って外に出ようとしていた彼だった。(目に傷はなかったけどね)

「なんでこんなに痩せてるの…?忙しい中特典のお写真も撮ってくれてたんだろうけど、さすがに痩せすぎなのよ、心配させるんじゃないよほんとに、」

と、その写真の時期はとっくに過ぎ、わりと健康的な直近のユンギを見ているにも関わらずムダに心配した(笑)。

MVを観たら何となく痩せているのもわかる気がした。

もう一人は髪を切った「あの日」の彼。

そしてこの日、『AMYGDALA』の和訳(字幕)を初めてを読んだ。


フムフム、

なるほど、なるほどなるほど、

なるほどね。

そんな風にして、私は割と冷静に『AMYGDALA』MVの鑑賞を終えた。

正直ホッとした。それが第1の感想だった。


他にもそういう方はたくさんいらっしゃるだろうと思うが、

「こんなにしっかりした描写で過去を表現できるところにユンギはいるのか。」

あのMVを観終わった0:10頃、

私はそう胸を撫で下ろしていた。

今のユンギの現在地を示してもらった気がして、安心して眠った。

アルバムを初めて聴いた日の言いようのない不安を

あの様相の『AMYGDALA』のMVが払拭してくれたなんて、

何だか変な感じだ。

寛解

扁桃体って?

扁桃体については、ユンギもあらゆる媒体でその働きに触れていた。

簡単に言えば、

扁桃体は、人間の情動・感情の処理と、直観力、恐怖、記憶形成、痛み、ストレス反応(特に不安や緊張、恐怖反応)について重要な役割を果たしています。

cocoiroより

私たちの『心』『感情』、とくにマイナスの感情に深く関わる器官。

シュチ…あ、『アールチタ』でも話題に出ていたね。

いや神回なのよ

そして私が読んだサイトに書かれていたこの部分。

学習した出来事の後に、その出来事の長期記憶が即座に形成されるわけではなく、むしろその出来事に関する情報は、記憶固定と呼ばれる処理によって長期的な貯蔵庫にゆっくりと同化され、半永久的な状態へと変化し、生涯に渡って保たれる。

Akira Magazinより

※ここから先には『AMYGDALA』のMVの場面の画像が挿入されています。心理的にしんどいと言う方はここで読むのをやめてくださいね。

トラウマ、って『心の傷』なんだそうですが、トラウマになるにはそうなる体験があるわけで、それは記憶されるわけですよね。

記憶固定という処理を経て、記憶の長期的な貯蔵庫にしまわれ、それは半永久的なものとなっていく、と。


扉から出られるんじゃないかと思った時もあったのかもしれない。

『AMYGDALA』より

けれどやはり扁桃体の働きとして半永久的にこのトラウマを保持する役目がある。

最後の最後も、彼はドアの外に出ることは出来なかった。

『AMYGDALA』より

出たい、出たいとの思いが強くなり、扁桃体の中で彼が暴れる時が1番辛い時だろうなと思った。

辛いから出たいのに、扉は絶対に開かない。

扁桃体の中に雨が降るほど感情が乱れ、這いつくばってでも外に出たい、でも、


彼は一生外には出られない。 

トラウマは、消えることはないのだ。
 

ではユンギはずっと辛いのか。  

ただ辛さをひた隠しにして生きているのか。

私はNOだと思う。

ほら

ROAD TO ARMYより

ね?

ROAD TO ARMYより

だって、

ROAD TO ARMYより

ねぇ?

ROAD TO ARMYより

 めっちゃ楽しそう。

このコンテンツだってユンギの案なんじゃないの?(違うにしてもエンジョイがすごいのよ)

忙しくワーカホリックとも言えるほど働くことで、自分に思い出す暇も与えていないのだろうか。

ホントのところは私が知る由もないのだけれど。

Agust Dが、怒り、トラウマの象徴であるとするならば

先日のIUのパレットでも言及していた。

自分たちを無視し、排除しようとし、批判を繰り返す人達に対し

怒りを露わにしてきたAgust D。

しかし、

 IUのPaletteより

だからもう、ミン・ユンギにAgust Dは必要ないのかもしれない。

本当にこの三部作でAgust Dは完結し、

Agust D名義の作品はもう出てこないのかもしれない。

私はそれを不安に思っていたのだ。

そうなんだけれど。

まぁ要は、『AMYGDALA』のMVを観て、


「Agust Dがミン・ユンギの中からいなくなることは無いんだな」


と解釈したのだ。

扁桃体について調べたりしたのも今回が初めてだった。

そこで行き着いた私の結論がこれだ。

「ミン・ユンギはトラウマから寛解の状態にある」

トラウマを『心の傷』と表現し、傷なのであればそれが全て消え去ることを全治と呼ぶことも出来るのだろう。

しかしトラウマが記憶として半永久的に残る以上は全治することは無いと言える。

そこで用いられる言葉が寛解(かんかい)だ。

寛解とは

全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること。
 「治癒または―」

Oxford Languageより

ユンギは今寛解の状態にあり、扁桃体の中のAgust Dと上手く付き合っている状態だと推察する。

傷の小さくなった、少し穏やかになった彼が、扁桃体の中で静かに暮らしている。

MVの描写は、今寛解の状態だからこそできるものだと思った。 

MVを作る作業を思えば(作ったことないけど)、まだ死ぬ程苦しかったらこんなに整理できないのではないか。

ひとつの曲にして、「こんなMVにしたい」と案を出し、そして体重の増減、髪の長さまでこだわって3様の自分を演じる。

冷静に向き合ってる精神状態じゃないと無理ゲー過ぎるのだ。

だからきっと今のユンギは大丈夫なんだろう。

このMVを観て私がホッとしたのはそういう理由だ。

ユンギの『今』にめっぽう弱い私が、ユンギの『今』をポジティブなものに捉えることができた。

ユンギと自分を重ねる人へ


若いバイクのユンギと、傷のユンギのやり取りがあった。

葛藤を(苦しいトラウマの記憶)、目をそらすことなく見続けること(『扁桃体』に模したアーモンドを自ら食べること)で、克服しようとしている(許そうと試みている)またもう一人のミン・ユンギ。

『AMYGDALA』より


絶望の谷底に突き落とされるような経験は、不可抗力な状況や、突然他人からもたらされることはあるのに

結局大丈夫なところまで這い上がって行くのは自分の力しかない。

皮肉なものだ。

あの人が救ってくれた、音楽が救ってくれた

そう思うのは私にとってはほぼ錯覚に過ぎない。

「支え」「応援」「後押し」「きっかけ」

であることは間違いない。

でも、『AMYGDALA』で、あの部屋の扉を外から開けようとしたのは過去の自分だったし、必死で外に出ようとしていたのもユンギ自身だった。

そしてそれを見つめて、トラウマを噛み砕き飲み込んでいるのもユンギ自身。


結局は自分1人。

誰も引き上げてなんかくれない。

ひとりで這い上がるしかない。


厳しいこと、偉そうなことを私は言いたいのではなくて、


今トラウマから寛解の状態にある全ての人が、

自分の力で今そこに立っているんだと私は思う。

それってすごいことだと思うのだ。

泥の中で足を取られてももがきながら必死に外にでて、

泥を洗い流して、もしくは少しは泥をつけたままでも、

日常を穏やかに過ごすところまで自分の力で歩いてきた。

周りの人に感謝しながら、音楽の力、好きな人、物事

ガソリンは満タンの状態だ。

それでも、自分がエンジンスイッチに手を掛け

アクセルを踏み込まないことには前には進まない。

頑張ってる人は皆、自分がすごいんだよ。


皆、自分に1番必要なのは自分なのだ。

だから彼らBTSは


「自分をちゃんと愛してね」

と言うんだと思っている。

どんなにスーパースターでも

背中を押すしか出来ないから。

応援するしかできないから。

みんな孤独だと知っているから。

もう終わりますのですいません

話は逸れてしまったけれどとにかく、

『AMYGDALA』は私にとっては安心材料だった。

今はね。

寛解と捉えるのであれば、再燃、も無いとは言いきれない。

人間ミン・ユンギにとっては、目に傷のある彼はもう居なくてもいい存在なのかもしれない。

しかしアーティストである彼にとっては、扁桃体の中で小さく、穏やかにあの彼を住まわせ続けるのは、悪くないのかもしれない。


 時には彼に頼ることすらあるのかもしれないよ。

誰にだって、目を逸らしたくても逸らしきれない傷はある。

ユンギも一人の人間であり、私と何ら変わらずに傷ついてきた人生の1場面を持っている。

ユンギを愛する一人の人間として

あなたの中に生き続けるAgust Dにも

この先も微笑みかけ続けたいと思う。

私に出来ることなんて塵1つ分もないけれど

許せる人は強いと思うから、

これからもあなたを信じているし

ただただあなたの音楽を、コンテンツを愛し

ひたすら健康と幸せを願っています。

素晴らしいMVでした。



もう怪我しちゃやだよ。

〜追記〜
このnoteは、楽曲解説、MV解説があったWeverseLiveの訳、MVビハインドを見ないまま書いています。「そういう意味じゃないらしいよ」っていうとこもあるかもしれませんが、「あなたはそう見たのね」と、温かく見守っていただけると幸いです。






















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