仕事のお話し。/初日ってさ。

アタイの仕事の起承転結。
第一期の「起」は準備段階。台本を書いたり、打ち合わせしたり。
実は此処が一番楽しいのかも。いや、執筆作業とかは大抵の場合シンドイのだけれど、そのシンドサは「選択」という行為によって生じるのであって、出鱈目に想像をめぐらせて、アタマの中の風呂敷を広げている間は楽しい。「書く」にあたって、無節操や無分別ではいけないから&(純粋な戯曲というより)実際の公演に向けて諸条件を鑑みた上演台本を書く場合が殆どなので、現実的な目配りのもとで書くのは、ちょぴっと苦しい。

第二期「承」は稽古期間。
準備してきたプラン・イメージを、更に現実の要件と照合して調整し、委ねていく。情報を詰め込みながら表現を磨いてゆくお稽古は、作り手・演じ手・裏方すべてにおいて、どうしたって苦しくてツライもの。ただでさえ、神経質になり感情も不安定になる。だから、ワタクシは、なるべく稽古場は笑っていたい。ほどけて適度に緩んだ状態で、緊張が必要以上に過ぎないように心掛けたい。なので。結果的にはホロホロと楽しい場合が多い。いや、楽しくしなけりゃ。です。お客様に観て頂く「楽しさ」が育たないから。勿論、内輪で楽しくなり過ぎないよう注意しなければ。仕事の伴侶たちは仲間ではあるけれど、お友達ではないのです。

第三期、「転」。舞台稽古かな。時間にすれば、ごく短いのだけれど、もっとも重要。頭の中にあったものが稽古でイメージを整えられて、それが現実に姿を現わす瞬間。とても大切で繊細さが求められるのだけれど、残念ながら与えられる時間はとても短い。だから色々と、すっ飛ばさなければならない。そして色々と、もはや取り返しがつかなかったりもする。……これは主に経済的な理由でしかないのだけれど、経済的に立ち行かなければ生きていけないので、仕方がない。何処にも怒りや不満をぶつけられないので病んだりキレたりする人もいるよねん。だから、一番ドキドキする。この部分で多少の余裕がある現場だと無上の幸せだ。なかなか無いけどね。

第四期は初日から千秋楽まで。これが私にとっては「結」。
初日が、ある意味作品とのお別れの瞬間でもある。以降は、毎日の運営に関わるスタッフ、そしてキャスト、何よりもお客様に委ねられる。
勿論気づいた部分を変更したり微調整はあるけれど、すでに手から放れて一個の生きものとして作品は歩み始める。見守って、後を追いかけはすれど、捕まえて閉じ込めることは出来ない。そもそも公演全体を見届けることはなかなか難しい。たいてい初日までが仕事として発注され、拘束された期限なのだ。いや、そうでなくとも。
作品が生まれてしまえば、ワタクシは役目を終えるし、終えなければいけないと思っている。もう既にそれは、わたしだけのものではない。いや、最初からわたしだけのものではないのだけれど、前段階までは手を掛ける部分が多いだけに、作品を我と我が子のように思うものなのだ。
勿論、結果としての毀誉褒貶は甘んじて此の身に受け止める。全体の、それも負の責任を取る(「負う」ということだな)のが務めであり、だからこそカンパニーの筆頭に扱ってもらえるのだ。犠牲となって命を捧げるからこその「祝祭の王」(これまた「負う」から「王」なのだな)なのだな……これは都合の良いヒロイズムだけどね。許してね。

この起承転結は、仏教でいうところの四相にも通じる。「生・住・異・滅」だ。なるほど。やはり最後は滅するのだ。
初日は、だからわたしの千秋楽。作品ごとの、わたしの命日。
そうあらねば。
でも仏教には来世もありますからね。
色んな縁が繋がっていったりする。仲間が友達になっていく。
点と点が繋がって、線になる。星座を描く。星座は物語を秘め、死の後にも微かな光を点すかも知れない。
作品が生まれる日。それは星座の始まりなのだ。

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