見出し画像

ほとりにて

「ほい」
「ありがと」
差し出されたコーヒー缶を受け取って一口飲むと、もちろんそれはさっきまで自動販売機の中で冷やされていただろうから、早朝の中では体がひやっとして少し震えたけど、この時間にあえてちょっと肌寒く感じるくらいにしておくのがけっこう好きなのだった。
「どうですか、調子は」
いつものわざとらしい感じで訊いてきたので、いつものわざとらしい感じで返した。
「いや~~~ダメですね。しょっぱいっすね、今日は」
「だろうとおもってしょっぱいおにぎり持ってきたよ」
確かに小さいバスケットを片手に持っていて、中から海苔の巻かれたおにぎりをひとつ取り出す。
「うわ~~~うれしいのかうれしくないのか、わからない」
おにぎりを受け取って、ラップを剥がして頬張ってみる。
「ほんとだしょっぱ、えっ、もしかしてその中の全部こんな感じ?」
「いや、それだけしょっぱくした」
「よかった。びっくりするかと思った」
こういうことを定期的にやってくるところを見ると、なかなかこういうことをしてくれる人間は貴重なのではないかと考える。ふつう、言葉遊びを物理的な体験に持ってきて実践するようなことはしないよな、とかそんなことを思うと、なんだかその事実そのものがじわじわと面白く、かつ不思議に思えてくるのだけど、『きみのそういうところ面白いよね』と言うのもなんというか妙な感じがするから、心の中に『奇妙感覚』だけが少しずつ蓄積しているのだ。
「いつも見てるだけだけど、自分で釣りとかはしないの?」
たまにふらっと来てはこのようにコーヒーやおにぎりを差し入れてくれるのだけど、そういえば自分で釣っている姿を見たことは無かった。あんまり釣りそのものの話もしていなかったような気もする。
「う~~~ん」
腕を組んで頭をかしげ、『熟考』していた。10秒ほど経って、ぱっと顔を上げて言った。
「やってもいいんだけど、でもたぶん、自分が釣りするときって、早朝の今みたいなのんびりした、静かで、ひやっとした空気に浸りたいからだと思う」
あ、それ、わかる。と思った。
「で、まぁそれって今できてるわけだから、自分で釣る必要ないかなって。ここに何かをしている誰かが居るということが大事で、自分はそこに『立ち寄り』たい」
「う~ん、なるほど――ちょっと不思議だけど、でもまぁなんとなくわかる気がする」
「まぁつまり、今の感じで」
「うん。今の感じで」
遠くで魚がぴしゃんと跳ねた。太陽がだんだんと顔を覗かせて、湖の水面がきらきらと輝いていた。これほどに、なんということのない日常感というものがあるんだなあと思って、あくびをした。


https://skeb.jp/@CaptainAyakashi/works/3

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?