これは愛なのか?

私にとても良くしてくださる職場の先輩がいる。
私より年下だが、お互いの諸般の事情により先輩である。

先輩はとにかく優しい。部署の中で一緒に仕事をすることが一番多い先輩だが、質問攻めにしたり、お願いごとをたくさんしたりと正直迷惑千万であろうと思う。失敗して迷惑をかけたことだってある。それなのに、明らかに疲れていることはあっても感情に任せることはなく、私にも常に優しく接してくれるし、世間話や冗談で和ませてくれる。それだけでなく、仕事が大変だった時、失敗した時、飲みに連れていって気分転換をさせてくれる、仏のような先輩である。
そして、超人見知りの私からみて、気兼ねなく世間話ができるほど仲良くなった唯一の先輩であり、ほとんど友人のような存在である。

私としては「年上」という枷は割と大きくて、年上なのに仕事できないし余裕なくて情けない、怒るに怒れないだろうな、気を使わせてしまって申し訳ないと常々思っていた。
でも最近、(人によっては気持ち悪いと受け取られかねない表現であることを承知の上で使用するが)
私が『優しさ』と表現してきたものは、先輩なりの『愛』なんだろうなと思っている。
というかそう思う出来事があった。

その日は職場の飲み会があり、2次会はその場のノリで集まった人のみで行われた。
先輩も2次会参加組であったが、1次会終了時点で既にかなりできあがっていて、なんだかいつも以上に楽しげで饒舌な様子であった。
2次会では隣に座った。酔っ払った先輩はうつむいたままずっと私への感謝の言葉を述べていて、一体どうした??という様子だったが、

「○○さん(私)は忙しい中でいろんなことに挑戦していて、本当にすごいと思っているんです」
「酔ってないと感謝を伝えられない情けないやつなんです」
「これからもどうか僕のことを見捨てないでくれませんか…..」
私も結構酔っていたので完全再現ではないものの、このようなことを言われ、心底驚いたのである、そんなふうに思っていたのか、と。

迷惑をかけているのにも関わらず飲みに連れて行ってくれるし世間話もたくさんしてくれる時点で嫌われてはないな、と思っていたが、このような言葉、酔っていて色々とぶっちゃけはっちゃけてしまっている人間がお世辞や冗談で言えることだろうか。いや、そこそこマジであろう。

先輩とはまだ1年そこらの付き合いである。この部署に来たのは私の方が先だが、社歴はもちろんのこと、業務に関する知識も先輩の方が上なので、先輩と息を合わせて仕事ができるようそれなりに工夫してきたつもりだった。そのようなちょっとした努力は先輩にも伝わっていたのかもしれない、と安心した。

が、正直、「見捨てないで」という表現には、なにか引っかかりを感じるのである。
「見捨てないで」とは、私に対するどのような思いから選ばれた言葉なのだろう。
私の無駄に前のめりなチャレンジ精神が、どこか置いていかれる感覚でも芽生えさせてしまったのだろうか。業務経験の豊富さが先輩に追いつくことはないのに、できる業務が増えていく私に寂しさでも覚えたか?などといった傲慢で勘違いも甚だしい考察がどんどん湧いて出てくるが、真意を聞き出せる日はおそらく来ないだろう。

このような言葉をくれる先輩の私への想いは、今の私には『これは愛だ』と、そう表現・解釈するしかできない。
もちろんこれは恋愛的なものではなく、職場の先輩後輩の間柄であり、職場で共に仕事をしたパートナーであり、歳が近しい我々の友人のようでもある間柄の中で生まれた信頼感を指してそう呼ぶのである。
でも、ただの信頼感ではない。先輩の言葉選びからはどこか「寂しい」という感情を感じる。だからこそ『愛』と表現すべきなのではないか。少ない想像力と語彙の中で、そう表現するのである。

わたしだって、先輩のことを心から尊敬している。みなに頼りにされて明るい性格だけれど少し繊細なところもある先輩にこれからも幸あれと思っている。これは先輩への愛だと思う。流石に普通に口にするのはキモいので「これは愛だ」と伝えることはないけれど。でもこの気持ちがこれからも壊れないことを切に願う。

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