見出し画像

受験を失敗しても人生はつづく。

朝の7時30分、起きてくるとテレビでは「ZIP!」がやっている。だいたい同じ時間帯にみているから、ながれるCMは、ほとんどが見たことあるものばかりだ。見たくてみているドラマなどとは違い、この時間帯にやっているCMには何の感情もわかない。だけど、これまでの人生でひとつだけ、放送してくれるのを心底楽しみにしていたものがあった。それが、宮﨑あおいさんが出演していた「サントリー烏龍茶」のCMだった。

放送されていた当時、わたしは中学3年生だった。まだまだ春が手に届きそうにない1月頃、ながれていたように思う。ちょうど受験の追い込み時期だった。わたしはこのCMをみてから、宮﨑あおいさんのような、サラサラした雰囲気を持つ人に憧れた。そしてそれは第一志望の高校に入ったら、それが叶うような気がした。いま考えると、論理が飛躍しているにもほどがある。だけど当時のわたしには、自分の明るい未来をみせてくれる特別な30秒だった。

この時期のわたしは、まさに受験生の鏡だっただろう。

お茶碗が空になるとともに潔く「ZIP!」から目を離す。7時40分ごろに家をでて、自転車にまたがり、途中にあるセブン‐イレブンでおにぎりを買った。こうすると8時3分には、塾に到着する。授業がはじまる時間まで、いつもの席で自習をし、時間になったら広げた参考書を両手いっぱいに雑にかかえて、教室まで移動した。授業がおわれば、またいつもの席に戻り、7時になると近くのお弁当屋さんにいき、そのあとは塾がしまる22時まで、ひたすら問題をといた。また20分ほどかけて自転車で帰宅し、また10時間後の朝8時には塾にいた。

中学校での授業がなくなった当時、これがわたしの世界のすべてだった。

そうまでして、行きたい高校があったのだ。その学校は、通っていた中学の真隣にあった。教室をでた廊下の窓からは、高校の剣道場がみえる。自分よりも何歳かしか変わらないはずなのに、袴姿の高校生たちはとても大人にみえた。だから3年生になってすぐ、進路希望のプリントが配られたときには、迷わずこの学校の名前をかいた。ここが第一志望であり、唯一志望であった。

しかしこの高校は県内では、御三家とよばれていた。偏差値70以上とされ、模試の結果はつねに「E判定」だった。

だからわたしは、たくさん勉強するしかなかった。人よりも多い時間、質の高い集中力を発揮しても、ぎりぎり手が届くか届かないかの瀬戸際だった。親や担任の先生は、きっと諦めていたけれど、わたしだけは違っていた。自分が落ちると考えたことは、ただの一度もなかった。

娘がそう信じていたから、親もその高校を受験させてくれた。試験日は2日間にまたがっていて、時期は3月のはじめだった。会場は志望している高校に指定される。あのCMのように、自分より背の高い弓を担ぎながら、さわやかな高校生活をおくるんだと思いながら、地面にうめこまれた門の凹凸を注意ぶかく踏み越えた。

その高校の門をくぐったのは、このときが最後だった。

受験がおわり、塾で自己採点をする。そんなことをしなくても、自分が合格していないことは明白だった。提出しなければいけない用紙に自分の採点結果をかいて提出し、すぐに家に帰宅した。塾の滞在時間としては最短だっただろう。帰宅してから丸一日中、ふとんにいた。泣きつかれたら眠り、起きると1分をしないうちに再び涙が出てきた。この世界がなくなってしまえばいいのに、と強く願った。

あの日から今年で10年がたつ。滑り止めで入った高校では、この先ずっと大切にしたい友達に出会った。

その友達と会うために、電車にのる。気温も高くなってきたし飲み物が必要だ。持ってくるのを忘れてしまい、駅中にあるNewDaysにはいる。

あ、あった。ちょっと高いけれど、やっぱり3月になると飲みたくなる。私の中でこれは、あのとき頑張った自分の象徴だ。

「サントリー烏龍茶」をもって、わたしはレジまで堂々と歩いていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?