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オンラインと対面と

亀田慎也 (第19期・高崎市・有花園代表)

三度目の緊急事態宣言である。

少し収まってはぶり返し。
ワクチンが国民全体に行き渡り、有効な薬が開発されるまで、しばらくこの状態は続きそうだ。それまでは「ニューノーマル」な生活様式を、社会全体で受け入れる他なさそうだ。
であるからして、この現状と、アフターコロナの社会がどうなるか、目を見開いて考えておきたい。

現在、夜の会食の自粛やテレワークが進み、教育現場でもオンライン授業と対面の併用が当たり前になっている。出張や単身赴任はかなり減少するだろうし、いわゆる社内の「飲みニケーション」も、過去の習慣となりつつある。
オンラインでのシンポジウムは、かなりこなれてきた感があり、時間的・場所的な制約が解消されている。

これはこれで、日本の働き方改革を後押しすること、あるいは学びの機会創出と言った意味で、悪いことでは無さそうだ。
一方で、人と人が集まる場が減るのを放置するのは、良い傾向とは言えまい。

オンラインでのシンポジウムで、基調講演や質疑応答がそれなりに成功したとしても、そこでの参加者同士の熱気、空気感は、会の成功と同質には共有されず、体内に取り込むことはできない。
「オンライン飲み会」なるものを、コロナ禍の初期に何度かやってはみたが、長続きしないのと同じような理屈に思える。

話は変わるが、以前、高崎のまちなかに『高崎田町屋台通り』と言う空間があった。
20店舗ほどの常設屋台がランダムに並び、道ゆく人々を誘い込んでいた。

ここでは文字通り「老若男女」が屋台の中や、時には外にテーブルを広げ、語り合っていた。
子供達は走り回り、出張で高崎を訪れたサラリーマンや他の地域からわざわざ足を運ぶ人も。大学生もいれば、大きな会社の社長もご夫婦で訪れていたりした。中には外国人が多く立ち寄る店もあり、今でいうダイバーシティを必然的に作り出していた。
サッカーワールドカップのパブリックビューイングや浴衣コンテスト、野外ライブなどのイベントも開催されたし、特に予定がなくとも、立ち寄れば誰かがいるのが常。隣の客との新しい出会いも見つかる。
人が集い、酒食を楽しむ空間で、これほど開かれた場所が他にあっただろうか。

他店からの持ち込みも、共有テーブルでのシェアも制約はない。狭いカウンター席に他の客が入りたそうにしていれば、「どうぞどうぞ」と譲り合う。客同士が互いにルールを決め合っているのが心地よかった。

アフターコロナを想像してみると、昭和~平成の慣行であった「飲みにケーション」の類はかなり減るのではなかろうか。忘年会シーズンともなると、毎日同じような人と顔を合わせ、2次会、3次会と流れて、朝起きるのがつらくなる日々。
それがコロナを機に、夜は読書や様々な学びを得、朝は運動という快適な時間を過ごすことに価値を見出したのは、私だけではないと思う。

一方で『屋台通り』のような、多様性に富んだ空間は、人恋しくなったコロナ禍において、あらためて必要性を感じるようになった。
縁をつなぐ場と言うのは、オンラインでは包括しきれず、アフターコロナにおいては意識的に作っていかなくてはならないのかもしれない。

ITの進展は大いに結構。市民社会の豊かさに貢献するテクノロジーは積極的に使っていくべきだろう。
その一方で、人と人との関係性にも下っ腹に力を入れて、しっかりとグリップしておかねばならないと思うのである。

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